2007年06月25日

街のオブジェ,上野公園,寛永寺-子院, 】

苔庵−うつぼ舟

 霧雨の護国院大黒天。すぐ裏手の東京藝術大学からはノミを打つ金属音が鳴り響き続けています。その護国院の神楽殿脇に設置されていたのは、Nobuyuki Sugihara(杉原信幸)氏の「苔庵−うつぼ舟」。
護国院神楽殿


 この展示は、東京芸術大学美術館陳列館で開催されている『表層の内側 Ⅲ 東京 - 大邱』の一環だそうです。
苔庵


 入れる大きさではないのですが、中に入る事ができるそうですが、ちょっとね、中から天を覗くと良いんですよ、これが。ちょっと樹海の森に入り込んだようです。

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2006年06月04日

寛永寺-子院, 】

蟲塚

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虫塚(都指定旧跡)

 虫塚は、伊勢(現、三重県)長島藩主である増山雪斎の意志により、写生に使った虫類の霊を慰めるため、文政 4年(1821)に建てられたものである。
 増山雪斎は、宝暦 4年(1754)の生まれ。本名を正賢といい、雪斎はその号であるが、玉園・蕉亭・石顛道人・巣丘隠人など多くの別号がある。江戸の文人大田南畝や大坂の豪商木村兼葭道など、広く文人墨客と交流を持ち、その庇護者としても活躍した。自ら文雅風流を愛し、清朝の画家、沈南蘋に代表される南蘋派の写実的な画法に長じ、多くの花鳥画を描いた。中でも虫類写生図譜『虫豸帖』は、その精緻さと木草学にのっとった正確さにおいて、殊に有名である。文政 2年(1819)66歳で没した。
 虫塚は、当初、増山家の菩提寺、寛永寺子院勧善院内にあったが、昭和初期に寛永寺に合併されたため、現在の場所に移転した。
 勧善院は、四代将軍家綱の生母で、増山氏の出である宝樹院の霊廟の別当寺として創建された。  碑は自然石で、正面は葛西因是の撰文を大窪詩仏が書し、裏面は詩仏菊池五山の自筆の詩が刻まれており、当時の有名な漢詩人が碑の建設に関わったことが知られる。

 平成 8年 7月     台東区教育委員会

2006年04月18日

寛永寺-子院, 】

根本中堂

寛永寺、根本中堂。
八重桜満開

根本中堂。

寛永寺-子院, 】

東叡山 寛永寺

 上野東叡山寛永寺

 天台宗の関東総本山。徳川歴代将軍の菩提所。寛永 2年(1625)天海僧正の創建です。江戸時代、上野の山全体が寛永寺の境内でした。創建当時は江戸城の鬼門を守る祈願所でしたが、後に芝の増上寺とともに将軍家の菩提所になりました。
 寺名は、「寛永」の年号をとって付けられ、山号の東叡山は、天台宗総本山比叡山延暦寺に倣い、東の叡山という意味です。
 江戸時代最盛期の寛永寺は、子院三十六ヶ院(今は十九ヶ院)と本坊、根本中堂、文殊楼(吉祥閣)などの豪華な建造物を誇り、これを総称して、寛永寺と言っていましたが、慶応 4年(1868)5月 15日の上野の戦争(彰義隊の戦争)により殆どの建物が焼失し、一部を残して新しく新しく上野公園となりました。 今の寛永寺は、明治 12年に天海僧正ゆかりの川越(埼玉県)の喜多院から本地堂(薬師堂)を子院であった大慈院の地に移築したもので、寛永 15年(1638)の建造物といわれています。

東叡山寛永寺

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