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アーカイブ

2007年07月30日

谷中,名所旧跡, 】

幸田露伴居宅跡

 きょう(2007/7/30)は、幸田露伴の 60年目の命日でした。”居宅跡”ですから当時の住居はなく、現在は集合住宅が建てられています。ただ露伴ゆかりの珊瑚樹[さんごじゅ]が赤い実を付けていました。
サンゴジュ


幸田露伴居宅跡
 幸田露伴は、明治 24年 1月からほぼ二年間、この地(当時の下谷谷中天王寺 21番地)に住んでいた。
 ここから墓地に沿った銀杏横丁を歩き、左を曲がると天王寺五重塔があった。五重塔は寛永 21年(1644)に感応寺(天王寺の前身)の五重塔として創建され、、明和 9年(1772)2月に焼失、寛政 3年(1791)棟梁八田清兵衛[はったせいべえ]らにより再建された。
 露伴は当地の居宅より日々五重塔をながめ、明治 24年(1891)11月には清兵衛をモデルとした名作『五重塔』を発表した。
 同 26年(1893)1月、京橋区円山町(現・中央区)へ転居したが、現在も傍らに植わるサンゴジュ(珊瑚樹)は、露伴が居住していた頃からあったという。
 露伴は、慶応3年(1867)7月、下谷三枚橋横町(現・上野 4丁目)に生まれ、すぐれた文学作品や研究成果を多数発表するなど、日本文学史上に大きな足跡を残した。昭和 22年(1947)7月没、墓所は大田区池上本門寺にある。

 平成 14年 3月     台東区教育委員会


幸田露伴居宅跡

□ 所在地: 谷中 7-18-25


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「幸田露伴居宅跡」を背に谷中霊園を眺めます。この先に「天王寺五重塔」は、ありました。
谷中霊園

2007年05月16日

名所旧跡,寺-向丘, 】

君の弾く 三味線の音に 唄ごえに

 向丘の曹洞宗 海蔵寺に「都家かつ江之碑」があります。
都家かつ江之碑


 都家かつ江は、数多くの映画やTVでも活躍した昭和を代表する偉大な芸人のひとりです。三味線を伴奏に”七・七・七・五”の調子で整われた洒落た句で、男女の艶を唄う都々逸[どどいつ]の名人でありました。


都家かつ江之人生讃

 當寺ゆかりの芸人だった彼女は明治 42年浅草日本堤に生まれる。3歳、父(都家四郎)主催の演芸団で初舞台を踏む。後、父の知人の一座等で役者として舞台出演。18歳の時、役者 清川滝三郎と結婚。これを機に夫婦漫才を結成。芸名 都家福丸・香津代と改名。昭和 20年主人(福丸)死去。一人娘を 2代目福丸として親子漫才を 3年程行う。その後「一人トーキー」として芸名 都家かつ江と改め一人舞台でデビュー後、数多くの映画・テレビ・ラジオ等に出演、活躍し名声を博した。昭和 58年(1983)9月 29日没。行年 74歳、戒名 芸照院真徹妙薫大姉
 此の碑の下には都家かつ江愛用の[ばち]が置かれている。

 平成 10年 10月 31日
 大智山 海蔵寺住職 久貝正孝 誌


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2007年05月13日

名所旧跡,寺-谷中, 】

観音寺の築地塀

 平成 4年(1992)台東区まちかど賞を受賞して以来、谷中のシンボルのひとつになった、観音寺南面のの築地塀です。

観音寺の築地塀

途中左方向に道を曲がると安立寺の塀に。突き当たりは「初音の森」で、右手に曲がれば蛍坂です。


 造られたのは200年以上前に遡るという観音寺の築地塀[ついじべい]ですが、関東大震災で一部崩壊し戦災を免れ、日々小さな崩れを起こしては補修されつつ現在に至ります。「築地塀[ついじべい]」とは土で塗り固められた塀のことで補強のため層状に板や瓦を埋め込まれたものだそうです。
築地塀

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2007年01月12日

プチ・ランドマーク,根津,名所旧跡, 】

金光教本郷教会

金光教 不忍通りから細い路地を入り、根津神社の手前に、ひっそりと「金光教[きんこうきょう]本郷教会があります。

 宗教に詳しくないのですが、「金光教」と名称は派手ですが、奇をてらうことなく飾り気もない、しかし手入れの行き届いた実直そうな古い木造の教会をみていると、信者勧誘やお布施集めに熱心な宗教とは違うようですね。
金光教本郷教会


玄関


■ 金光教(ウィキペディア
http://ja.wikipedia.org/wiki/金光教

■ 金光教 ホームページ
http://www.konkokyo.or.jp/japanes/

2006年12月14日

プチ・ランドマーク,千駄木,名所旧跡, 】

芳林閣

 かつてこの土地(駒込林町)に住んでいた大給近孝子爵の寄付により、大正 15年(1926)地元青年団のために建てられた文武道場です。
芳林閣


左脇にお稲荷さまと小さな建立碑が建っています。
芳林閣


大給家から現在は財務省の管理となり、町会が賃貸費を払い、会合などに使用しているようです。

参考:
■ 地域雑誌「谷中 根津 千駄木」28号(谷根千ねっと
・「未完 みんなで作る林町事典」
http://www.yanesen.net/backnumber/028/

2006年11月25日

東日暮里/根岸,名所旧跡,諏方神社, 】

曙日暮里

諏方神社、諏訪台から眺めた早朝の日暮里駅東口方面。
日暮里駅東口


ビルが空までのびている
人間[ひと]のさびしい野心みたいに
こんな街にも風が吹きはじめ
心をよぎって行くように
 もうすぐ帰るよ ぼくは少し疲れて
 もうすぐ帰るよ きみはまだ眠ってるかな

『もうすぐ帰るよ』より (詞: 岡本おさみ 曲: 吉田拓郎 )

2006年09月19日

プチ・ランドマーク,谷中,名所旧跡, 】

ステレオタイプな、工場

昔、地図などを描かされると工場は決まって、てっぺんが三角定規を重ねて並べたような絵を描きませんでしたか?よみせ通りに昔からあります旭プロセス製版の建物は、本当に典型的な昔ながらの工場の姿をしています。
旭プロセス製版

現在となっては貴重なかたちですね。

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2006年07月13日

弥生/向丘,名所旧跡, 】

サトウハチロー旧居跡

現在は駐車場となってしまった、サトウハチロー旧居跡です。築 70年にもなる旧居は、サトウハチロー没後に、およそ 2年をかけて修復された後に「サトウハチロー記念館」として開館されました。
サトウハチロー旧居跡

サトウハチロー旧居跡
 本名は佐藤八郎(1903〜1973)詩人・童謡作家。
 小説家佐藤紅緑[こうろく]の長男として、明治 36年(1903)市谷薬王寺前町に生まれた。大正 5年(1916)小日向台町小学校を卒業し、早稲田中学に入学した。この頃から詩を書き始め、16歳のとき西条八十に師事し、詩を学んだ。大正 10年(1921)『金の船』や『少年倶楽部』などに童謡を発表し、大正 15年(1926)に詩集『爪色の雨』を発刊、詩人として歩み始めた。
 昭和 12年(1937)上野桜木町から向ヶ丘弥生町に移った。週一回の、詩の勉強会”木曜会”が開かれ『木曜手帳』が刊行されたのも、この地である。
 昭和 52年(1977)自宅の一階を改装して記念館が開館され、原稿や愛用品が展示されたが、記念館は平成 8年(1996)岩手県北上市に移った。
 庭の一隅に、童謡『ちいさい秋みつけた』に歌われた”はぜの木”があったが、平成 13年(2001)10月礫川[れいせん]公園[春日 1-15]内に移植された。

 平成 15年 3月     文京区教育委員会

記念館を運営されていた房枝夫人が亡くなられた後、紆余曲折を経て、現在は岩手県北上市に移りました。
 サトウハチローは作品である繊細で優しい詞のイメージが強いのですけれど、ご本人は風貌、人生ともに豪快な人でもあったようです。地域雑誌『谷中 根津 千駄木』45号の特集「サトウハチローが好き」のコピーが、とても印象が強いので引用させていただきます。

落第三回、転校八回、
勘当を言い渡されること十七回。
東京中の留置場は大概知っている。

おおらか、賑やか、駄法螺吹き
イタズラ、腕白、不良少年
気さく、大袈裟、新しもの好き

さびしがりやで惚れっぽい
大衆的でセンチメンタル
愛情に飢えるロマンチスト

サトーハチローの墓碑銘に
「ふたりでみると
すべてのものは着(ママ)しくみえる」
とある。
墓は雑司ヶ谷墓地にある。

『谷中 根津 千駄木』45号・特集「サトウハチローが好き」
より引用しました。

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ネコ温度計

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