2006年02月13日

谷中,神社,観音/地蔵尊, 】

みしま地蔵

みしま地蔵尊由来

 太平洋戦争下の昭和20年3月4日午前8時40分頃、小雪降る中に、谷中地区は B29爆撃機の空襲を受け、死傷者約500人、全半壊家屋約200戸の被害を蒙った。
 戦争も終わり昭和23年、当時の三崎町、初音町4丁目、真島町の有志により、三ヶ町の戦災者70余名の霊を永久に供養するために地蔵尊が建立された。
 みしま地蔵尊とは三ヶ町の町名からそれぞれ一字をとったもので『三四真地蔵』、かなで読みやすくした。

平成4年11月     台東区教育委員会

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谷中は「寺町ゆえに戦災を逃れ、古い町並みが残された」わけでもないのですね、、、。

2005年12月05日

上野桜木/池ノ端,名所旧跡,神社,稲荷神社, 】

境稲荷神社と弁慶鏡ヶ井戸

東大池之端門の横に境稲荷神社と弁慶鏡ヶ井戸があります。
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境稲荷神社と弁慶鏡ヶ井戸
台東区池之端 1-6-13
境稲荷神社の創建年代は不明だが、当地の伝承によれば、文明年間(1469 〜1486)に室町幕府第九代足利義尚が再建したという。「境稲荷」の社名は、この付近が忍ヶ丘(上野台地)と向ヶ丘(本郷台地)の境であることに由来し、かつての茅町(現、池之端1、2丁目の一部)の鎮守として信仰をあつめている。
 社殿北側の井戸は、源義経とその従者が奥州へ向かう途中に弁慶が見つけ、一行ののどをうるおしたと伝え、『江戸志』など江戸時代の史料にも名水として記録がある。一時埋め戻したが、昭和 15年に再び掘り出し、とくに昭和 20年の東京大空襲などでは多くの被災者を飢渇から救った。井戸脇の石碑は掘り出した際の記念碑で、造立者の中には当地に住んでいた画伯横山大観の名も見える。
平成 6年 3月
台東区教育委員会

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