「向丘記」碑 - 徳川斉昭と弥生 -
平成 20年(2008)8月、東京大学 130周年記念事業「知のプロムナード」の一環として、それまで本郷キャンパス浅野地区の一隅に置き忘れたように建っていた「

現在の東京大学本郷キャンパス・弥生地区〜浅野地区の大部分は江戸期まで、水戸藩中屋敷(駒込邸)でした。上野寛永寺領を「
徳川斉昭は、この見晴らしのよい向丘の地から、文政 11年(1828)3月 10日、数え年で 29歳を迎えた誕生日にこの碑を建立しました。

「向丘記 」の碑
「向丘記 」碑は、平成 20年(2008)、東京大学 130周年記念「知のプロムナード」の学内整備に伴い、碑の破損部分の修復、保存処理を施し、情報基盤センターに設置、展示したものである。
碑は、後の水戸藩 9代藩主 徳川斉昭の自撰自書で、寛永寺の寺領「忍岡 」の向かいの「向丘」に位置した水戸藩中屋敷(駒込邸)に建立された。駒込邸は、、現在の本郷地区の北端、浅野地区、弥生地区と住宅地に該当し、藩主の隠居所、藩士の長屋、上屋敷の被災時は避難所などに土地利用された。
碑の石材は、茨城県産の寒水石 の転石が用いられている。題額「向丘記」は極めて珍しい「飛白体 」で、碑文は草書体、637字からなり、凹凸部分や割れ部分を避けて丁寧に勢いよく彫られている。斉昭は「文政十萬梨一登勢止移布年能夜余秘能十日」[文政 11年(1828)弥生(3月)10日]、「向丘」の由来を碑に記し、文末に
「名尓進於不 春爾向賀 岡難連婆 余尓多具肥奈岐 華乃迦計哉」
(名にし負ふ 春は向かひが岡なれば 世に類無き 華の影かな )
と詠んでいる。
碑が建立された殿舎と庭園のあった場所は、現在の浅野地区と考えられる。碑文の「咲満他留佐九良賀本迩志亭」(咲満たる桜が本にして)より、水戸徳川氏の華やかな大名庭園が想像できる。
明治 5年(1872)に名付けられた「本郷向ヶ岡弥生町」の町名は、碑文の「夜余秘」(弥生)からとられたものである。明治 17年(1884)、東京大学の学生であった有坂 鉊三 らによって弥生町で発見された土器は、後に町名から「弥生式土器」と命名されるが、「弥生式土器」の名称の本家本元は、町名の由来となった「向丘記」碑なのである。
「向丘記」碑は、明治 20年(1887)、この地に移転した浅野家の所有となる。昭和 16年(1941)、浅野家の移転に伴い、昭和 17年(1942)5月、浅野家当主 浅野長武氏より、碑と拓本が本学へ寄贈された。工学部 9号館北の共済寮庭園に置かれていた碑は、工学部 10号館建設に伴い同館西側に移され、今回、当所に設置された。本郷地区には赤門、三四郎池など、加賀藩の遺構が残されているが、駒込邸の痕跡は、明治時代以降の官有地化と宅地化、大学建設により跡形もなく破壊されてしまった。この地に水戸藩駒込邸があったことを知る事がでる唯一の文化財が「向丘記」碑なのである。
東京大学 東京大学埋蔵文化財調査室
解説にありますように、碑は茨城産の「寒水石」と呼ばれる白い大理石を使用し、自然に出来た凹凸を避けながら、書かれているところから(恐らくは)朱筆で斉昭が直に書かれたのであろう、ということです。また、題額に「
文の内容は、向ヶ丘の地が徳川家と関わりの深い場所であり、古くから知られた場所であったことを歴史を踏まえて述べられています。
図は、横山 淳一氏によって写しとられた拓本を元に、横山氏自ら、刻銘を復元したものです。また石碑の分析、修復・保存に関する助言には、塩原 都氏(いずれも日本石造文化学会メンバー)が協力されています。

■ 参考文献:
「『向丘記』碑の設置工事 附遍: 徳川斉昭と「向丘記」碑
- 東京大学浅野地区「向丘記」碑の調査 20 - 」
原 祐一(東京大学 埋蔵文化財調査室)
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原様からお知らせをいただき、さっそく「さわらびYの歴史・民俗・考古探索ノート」の「向岡記」碑の記事のコメント欄に紹介させていただきました。
http://sawarabituusin.cocolog-nifty.com/notebook/2007/02/s11_e723.html
約 12cm程の厚みしかない大理石だそうですから、今後の酸性雨による風化や廃物による損傷の危険を考えると、適切に保存できて本当によかったですね。
さわらびY(ゆみ)さん、コメントありがとうございます。
「向岡記」碑の修復・保存と移転にあたっては、「向岡記」碑を学術的に研究・分析し、歴史的価値を再発見された、東京大学埋蔵文化財調査室の原さんと、日本石造文化学会の塩原さんの尽力が、非常に大きかったかと思います。東京大学に於いて、赤門と同じく末永く大切にされるべき、歴史的建造物ではないでしょうか。
東大にお立ち寄りの際には、ぜひご覧下さい。