採り上げるのが大変、遅くなってしまいましたが、去る 2008年 8月 8日(金)、「向丘記」碑の移設・設置作業が行われました。
「向丘記」碑は、水戸藩主 徳川斉昭が建立し、弥生の地名の由来となる碑です。後に同地区より、新時代の土器が発掘されたことにより「弥生(式)土器」、ひいては「弥生時代」の由来ともなります。
-----
碑の設置箇所は、東京大学本郷キャンパス浅野地区・浅野南門から入り、情報基盤センター脇になります。
碑を設置する土台部分の工事は一週間前から製作が行われました。(オカヒロユキデザイン)

向丘記碑は、賢崇寺(港区元麻布)にて、石工職人(株式会社 小林石材工業 <http://www.azabujuban.or.jp/shop/etc/6109.html>)によって、一部埋もれていた碑文からコンクリート基礎部分の剥離・除去作業が行われた後、保管されていました。

クレーンによる設置作業も熟練の石工職人によって作業が進められました。
側面から見るとよくわかりますが「向丘記」碑は、約 12cm程の厚みしかない「寒水石」と呼ばれる多層の大理石で出来ています。

養生に覆われた碑を設置箇所の台座に運びます。

台座部分が碑にぶつかるため、基礎の一部をノミで削り、高さを調整します。

位置を確認してはクレーンで碑を持ち上げては、再び基礎を削る作業を、何度も続けます。

かつてコンクリート基礎で埋もれた部分も見られる高さに位置を確保し、台座に設置しました。

碑の位置を最終確認する、原 祐一(東京大学埋蔵文化財調査室)さん、横山 淳一さん、塩原 都さん(日本石造文化学会)、オカヒロユキデザインの関係者。そして石工の方々(小林石材工業)。

その後、デザイン関係者により、基礎部分に砂が詰められ、仕上げに砂利が敷かれ、台座の整備を終えました。
また、午後遅くには丁寧な解説板が設置され、「向丘記」碑の移設が無事に完了しました。

徳川斉昭によって建立された「向丘記」碑は、明治以降、水戸藩から浅野侯爵家を経て、東京大学へ寄贈後は、構内の一隅に残されていたものの、放置気味に扱われていました。
今回、「向丘記」碑の修復と保存には、本来の埋蔵文化財発掘調査から水戸藩中屋敷及び浅野侯爵邸の研究を推し進め、碑の歴史的価値と重要性を確信された、原 祐一(東京大学埋蔵文化財調査室)さんの尽力に拠ります。
また原さんに全面協力されたお二方 − 高度な技術で劣化激しい碑文を拓本に起こし、解読された横山 淳一さんと、長年の調査・研究から碑文および石碑の独自性を見出された塩原 都さん(日本石造文化学会)− の研究が、碑の歴史的価値の再認識に、大きく寄与しました。
現在は、彼らの研究成果の一端を設置された解説板で読むことが出来ます。
-----
■「向丘記」碑の修復と保存、および調査に関わった方々(敬称略)
武蔵野文化財修復研究所
府中工房
加藤建設 <http://www.katoh-k.co.jp/>
小林石材工業 <http://www.azabujuban.or.jp/shop/etc/6109.html>
オカヒロユキデザイン
マルモ
垂水 李(清水 美知子)
横山 淳一
塩原 都(日本石造文化学会)
-----
弥生町会
谷根千工房
-----
原 祐一(東京大学埋蔵文化財調査室 http://www.aru.u-tokyo.ac.jp/)
----
知のプロムナード(東京大学 <http://www.u-tokyo.ac.jp/>)
トラックバック(0)
このブログ記事を参照しているブログ一覧: 「向丘記」碑の保存(8) 移設
このブログ記事に対するトラックバックURL: http://www.bakyung.com/tank/mt-tb.cgi/1773

コメントする