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追分一里塚跡と高崎屋

東京大学弥生地区、農正門の正面には本郷通り(岩槻街道)と旧白山通りがぶつかる三叉路で「本郷追分」と呼ばれています。その場所には江戸時代「追分一里塚」があり、「高松屋」は江戸時代より現在に至るまで酒店を営業されています。
高崎屋


追分一里塚跡

 一里塚は江戸時代、日本橋を起点として街道筋に 1里(約 4km)ごとに設けられた塚である。駄賃の目安、道程の目印、休息の場所として、旅人に多くの便宜を与えてきた。
 ここは、日光御成道(旧岩槻街道)との分かれ道で、中山道の最初の一里塚があった。18世紀中頃まで、榎が植えられていた。度々の災害と道路の拡張によって、昔の面影をとどめるものはない。分かれ道にあるので、追分一里塚とも呼ばれてきた。
 ここにある高崎屋は、江戸時代から続く酒店で、両替商も兼ね「現金安売り」で繁昌した。

 平成 7年 3月     文京区教育委員会

■ 区指定史跡


一里塚跡
この周辺の埋蔵文化財調査から、「高崎屋」の銘が入った酒徳利が数多く発掘されていることからも、当時の繁昌振りが想像されます。


■ 高崎屋 ホームページ
http://www.hi-ho.ne.jp/ornellaia/


高崎屋

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このページは、やまだが2008年3月 5日 21:55に書いたブログ記事です。

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