「向丘記」碑の保存(6) 掘り出し
12月 12日、朝から、小林石材工業による「向丘記」碑の掘り出し作業が行われました。
作業の際に使用された「箱ジャッキ」(1966年製)です。

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□ 参考文献:
「東京大学浅野地区「向丘記」碑の調査」1〜7 2006・2007年
原祐一(東京大学埋蔵文化調査室)
協力: 日本石造文化学会
関連リンク:
■ 東京大学埋蔵文化調査室
http://www.aru.u-tokyo.ac.jp
■ 小林石材工業
http://www.azabujuban.or.jp/shop/etc/6109.html
■ 日本石造文化学会
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「向丘記」碑の掘り出しですが、実は地中の基礎がどうなっているのか、明確な資料はありません。地上に出ている基礎から想像するしかありませんでした。
碑の基礎であるコンクリートの周囲を掘っていました。

作業にあたる小林石材工業の方々は手慣れたように掘り出し作業をされていましたが、窒素貯蔵タンクや樹木など改めて劣悪な環境にあったのだなあ、と思います。

木の根や、碑を固定するためのものなのか石などを除去していきます。

基礎の底部が現れるまで土を掘り出します。

底部が見えたところで、箱ジャッキを差し込みます。箱ジャッキは 3トンまでの重量をゼンマイ仕掛けで少しずつ持ち上げられるそうです。碑に養生をかけ、少しずつジャッキを回します。土が軟らかく始めジャッキが地中に沈みましたが、その後少しずつ持ち上がっていきました。


箱ジャッキで少しずつ持ち上がったところで、片側を持ち上げたら、クレーンを準備。碑の基礎下にロープを通します。

窒素貯蔵タンクと木々の間隙を、クレーンを下ろします。

片側を持ち上げ、基礎を確認します。基礎コンクリートは粗く、所々はみ出し固まっていたので、ノミを使用して削り落とします。

いったん碑を降ろし、今度はもう片側へロープを通す作業です。箱ジャッキも入らぬ狭い場所なので、万力のようなこの道具を、クレーンに取り付けて使用します。

持ち上げる物の重量の力を利用して、しっかりと挟み捕まえる、単純ですがよく考えられた道具です。

両端にロープをかけた後、クレーンでゆっくりと吊り上げられました。そこで初めて基礎底部の全体が現れました。

碑の背面の支柱が想像以上に長く伸びていました。このままでは掘り出し、すぐに移設という訳にいかなくなりました。このコンクリートの支柱は鉄筋が埋め込んであるようなので、これを除去する必要が出てきました。

コンクリート支柱は碑の背面と非常に近く接しています。この除去作業には手間を要するため、いったん作業を中断し、後日改めて最善の方法を検討し、作業をすることになりました。

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この「向丘記」碑の価値に関して、
この地に水戸藩中屋敷があったことを示す唯一の文化財であること。碑に使われた石材や書体の特殊性、徳川斉昭、自らの碑文であること。向丘弥生の地名の由来であること、ひいては「弥生土器」、「弥生時代」の命名に至ることなど、重要文化財に指定されても決しておかしくない歴史的価値が認められる一方で、東京大学や文京区をはじめとする自治機関や住民の方々(誰よりも私自身ですが。)の認知が低いことが問題なのかも知れません。もっと大勢の人にこの碑の価値が知られ、末永く大切にされるといいなあ、と思いました。
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