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「向丘記」碑の保存(1)

 以前に文京区「弥生」の由来・発祥となった石碑について書きました。浅野地区は本来、江戸時代には旧水戸藩中屋敷から明治に射的場、浅野侯爵邸を経て昭和 17年(1942)東京大学本郷キャンパスの一部となりました。浅野家が庭園に、旧水戸藩時代の「向丘記」碑を残したために東京大学へ寄贈されました。
その石碑は現在も東京大学本郷キャンパス浅野地区にありますが、決して恵まれた環境にはありません。工学部 10号館脇にある液体窒素貯蔵タンクのそのまた陰に隠れて設置されています。
工学部10号館脇


「向丘記」碑の設置場所は始終日陰で、場所柄枯れ枝の集積場所となっていたりもします。
向丘碑
弥生・浅野地区を重点的に研究されている東京大学埋蔵文化調査室原祐一さんは現在ある「向丘記」碑の状態を憂慮され、2006〜2007年にかけて、日本石造文化学会の協力の下に数回にわたる現地調査が実施されました。

石碑は正面から見ると石塊のように見えますが、横から見ると非常に薄く、裏面をコンクリート柱で支えられています。
横面


また、碑を設置した際に底部をセメントで固定したようですが、最下部の文字がセメントに埋まってしまっています。
碑下部


調査の結果、想像以上に劣化が進んでおり破損も少なくないようでした。数回の調査結果はまとめられ、然るべき部署へ報告されました。結果、東京大学埋蔵文化調査室の原祐一さんと、塩原都さんをはじめとする日本石造学会の調査と尽力のお陰で、屋内展示への移設、保存が決まりました。
移設場所はわかりませんが、弥生坂(言問通り)とは塀一枚隔てただけの、現在の場所で「向丘記」碑が見られるのは、あと少し(今年度内)の期間となります。

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□ 参考文献:
「東京大学浅野地区「向丘記」碑の調査」1〜4 2006・2007年
 原祐一(東京大学埋蔵文化調査室)
 協力: 日本石造文化学会

関連リンク:
■ 東京大学埋蔵文化調査室
http://www.aru.u-tokyo.ac.jp

■ 日本石造文化学会
http://www.nihonshuji.jp/sekizou_page.html

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このページは、やまだが2007年11月16日 20:37に書いたブログ記事です。

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