京浜急行電鉄の泉岳寺 - 品川区間にある「泉岳寺トンネル(南行)」です。トンネルの上に碑(扁額)が掲げられているのですが、ご覧の通り西面には高架線路、東面は JR線路に囲まれ、地上から確認出来る場所がありません。よって、JR山手線(もしくは京浜東北線)の車両から確認するか、京急本線を、泉岳寺駅から品川駅まで最後尾の車両に乗り、背面を見続けることになります。

扁額には、このように書かれていました。
開福招慶
昭和四十三年
晴雄書

昭和 43年(1968)に約 5年をかけたトンネルが完成し、6/21に、品川 - 泉岳寺(都営地下鉄線への乗り入れ)間が開通しました。"晴雄"とは、当時の京浜急行電鉄社長であった、佐藤晴雄氏だそうです。
京浜急行電鉄は、明治31年(1898年)川崎大師周辺(神奈川県川崎市)に開通した「大師電気鉄道」の設立から始まります。日本で 3番目、関東では最初の電鉄会社だったそうです(参照:Wikipedia - 京浜急行電鉄)。
その京浜急行電鉄が設立当初からの念願のひとつが東京都心への乗り入れだったのだそうです。明治 40年(1907)に都心乗り入れを計画して以来、関東大震災、第二次世界大戦を経て、昭和 43年(1968)に至るまで、実に 61年もの年月がかかりました。また都心乗入線の工事は、泉岳寺 - 品川間わずか 1.2kmであるにも関わらず、地盤の弱さなど困難が多く、5年の歳月と多くの資材と人員を要した難航工事でした。
昭和 43年(1968)4月に、同社が開発した ATS(自動列車停止装置)の採用や、京急油壺マリンパークのオープンがありました。そして 6月に都心乗入線開通を迎えました。またこの年は、京浜急行電鉄誕生 70周年であり、佐藤晴雄社長も古希(70歳)を迎えていました。
この扁額のいわれの詳細まではわかりませんでしたが、61年の悲願・困難を極めた工事・会社設立説70周年の節目...。こうした様々な思いから佐藤晴雄社長は、この路線とトンネルが、"福を開き、慶びが招かれるように"と「開福招慶」と書かれ、掲げられたのではないでしょうか。
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この件を調べて下さった方は、「御守りの"開運招福"...?」と言われていましたが、なるほど。そこにつながる意味合いがあるのかもしれませんね。
参考リンク: 京浜急行電鉄 >> 企業情報 >> 京急の歴史
■ 百年史
http://www.keikyu.co.jp/corporate/history/

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