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大給坂

 銀杏の木と、写真右が大給坂[おぎゅうざか]です。銀杏は剪定されてから見栄えが悪いのですが、手入れや近隣住民の方々の生活を考えたらこの方が良いかも知れませんね。中央付近に見えるのは、先日すりすりしていた猫ですね、たぶん。
銀杏と大給坂


大給坂

 かつて坂上に大給豊後守の屋敷があったことから、大給坂と名付けられた。
 大給氏は、戦国時代に三河国(愛知県)加茂郡大給を本拠とした豪族で、後に徳川家康に仕え、明和元年(1764)三河西尾に移封された一族である。
 現在残っている大銀杏は、大給屋敷の内にあったものである。この辺りの高台を、千駄木山といい、近くに住んだ夏目漱石は次のように詠んでいる。

 初冬や 竹きる山の なたの音 
             漱石

 平成 3年 3月     文京区教育委員会

 坂下は不忍通り、坂下手前には文字通り「坂下観音」があります。
大給坂


 大給家のあとに大平正芳(1910 - 1980)第 68・69代内閣総理大臣が住んでいました。大給家が大平氏に邸を譲る際、「何があっても銀杏の木だけは残して欲しい。」と伝え、大平氏が土地を売る際には、この場所だけは文京区に寄付し、千駄木第 2児童遊園として残りました。ですからこの公園の別名は"大平公園"。この銀杏を"大平いちょう"と呼ぶそうです。(下記「谷中 根津 千駄木」28号 参照)
銀杏

参考:
■ 地域雑誌「谷中 根津 千駄木」28号(谷根千ねっと
・「未完 みんなで作る林町事典」
http://www.yanesen.net/backnumber/028/

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このページは、やまだが2006年12月14日 08:08に書いたブログ記事です。

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