「守田

日本で、安政 5年(1858)から断続的にコレラが流行り、文久 2年(1862)頃から 3度目のコレラが全国で流行りだしました。同 3年(1863)には 江戸で大流行したそうです。
文久 2年(1862)、理学および医学を伝えるためオランダより長崎へ来日します。経緯は不明ですが(「寶丹」処方に書かれた歴史では"ある動機に依り"とあります。)ボードウィン博士の処方箋を得た九代目・守田治兵衛はこれを工夫し薬効を試した後、ボードウィン(ボードワン)からヒントを得たので「
※ 他にボードウィン博士の処方箋を元に作られた薬では『太田胃散』があります。
缶入りなのは変わっていませんが当時は赤い練り薬だったそうです。"赤チン(マーキュロクロム液)"と同じく僅かとはいえ飲み薬でありながら水銀を含んでいため、現在は改良されて粉末状の白い胃腸薬として販売されています。一口含んだ印象としては、やはり出自が同じ『太田胃散』に近いです。
「寶丹」命名の由来からもわかるように、九代目・守田治兵衛は商才に長けていたというよりもアイデアマンで、現在でいうアートディレクターの才能が非常に高かったようです。本人自ら屋号と同じく「守田寶丹」と称し、独特の書体による広告や看板を多数制作しています(現在の店名に使われているロゴや、当時の看板が店に飾られています。)。また「寶丹」宣伝用に『転宅』という噺を改良させ、『なめる』を作らせたりもしたようです。
店頭に飾られていた、当時(明治?)の守田治兵衛商店です。

■ 守田治兵衛商店
http://www10.plala.or.jp/hotan/
関連リンク:
■ 第 47話 『なめる』(吟醸の館 >> 落語の舞台を歩く)
http://ginjo.fc2web.com/47nameru/nameru.htm
■ 早稲田大学図書館 >>
>> 宝山松開花双六 守田宝丹広告
http://www.wul.waseda.ac.jp/kosho/bunko10/b10_8493/
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