ボードワン博士像・顛末記
9月 25日撮影、取り外される前の「ボードワン博士像」です。

オランダ一等軍医ボードワン博士は医軍講師として 1862年から1871年まで滞日した。かつてこの地は、東叡山寛永寺の境内であり、上野の戦争で荒廃したのを機に大学附属病院の建設計画が進められていたが、博士はすぐれた自然が失われるのを惜しんで政府に公園づくりを提言し、ここに 1873年日本で初めての公園が誕生するに至った。上野恩寵公園 100年を記念し博士の偉大な功績を顕彰する。
実はこの胸像の人物は"アルベルト・ヨハネス・ボードワン博士"の実弟、"アルフォンス・ハーメル・ボードワンオランダ領事"だったそうです。碑文に書かれてあるように"上野恩寵公園 100年を記念し"、 ボードワン博士像は 1973年 10月に設置されました。ところが、ボードワン家の親族がオランダ大使館から依頼された彫刻家に、兄弟の写真を取り違えて写真を渡してしまっていたのでした...。
後日(1984)、この胸像の人物がボードワン博士本人ではないことを、岡山県の大学教授が論文の中で指摘しました。オランダ側も人違い確認しましたが特に作り直すこともせず、台東区、上野観光連盟もまた、オランダ政府に協力を要請し、同国の彫刻家に制作させて寄贈された手前、なにも出来ないまま今日に至りました。
昨年(2005)4月、この話題が東京新聞「東京???(なぜなぜなぜ)」欄(朝刊・最終面)に改めて取り上げられました。この記事内容を東京在住の檀家(だんか)から聞いた日蓮宗・真如山 法性寺(大阪市)の山本信行住職はすぐに上京して胸像の人違いを確認したそうです。法性寺はボードワン博士が大阪へ赴任した一時期、お世話をされた寺で「ボードウィン(ボードワン)顕彰碑」が設置されています。そんな経緯から山本住職は、このままではいけない、と すぐに(2005年 5月)胸像の取り替えに向けた活動を始めました。都庁やオランダ大使館との建立許可の交渉(完成した像はオランダ大使館に寄付し、大使館から都に改めて寄贈する)や、募金や援助による約 400万円の胸像製作のための関係費用の資金集め、胸像の制作(石川県内の知人を通じ高岡市・竹中製作所に依頼)など、法性寺 山本住職がすべて率先して活動して来られました。
活動開始から約 1年半後の 2006年 10月 6日上野公園中央噴水広場にて、"改めて"ボードワン像の除幕式が行われます。
奇しくも今年、上野恩寵公園は開設 130年。ボードウィン没後 120年になります。
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