天災は忘れた頃にやってくる

 東京大学地震研究所 2号館のエレベーターホールの壁に掲げられている"地震研究所創立10周年を機に、寺田寅彦によって撰せられた銅板の碑文"(地震研究所ホームページ)とされているものです。
エレベーターホール


 寺田寅彦(1878年 - 1935)は夏目漱石とも深い親交があった、文学者であり科学者でもあった人物です。


明治廿四年[にじゅうよねん]濃尾地震の災害に鑑みて震災豫防[よぼう]調査會が設立され、我邦[わがくに]における地震學の研究が漸く其緒に就いた大正十二年帝都並に関東地方を脅かした大地震の災禍は更に痛切に日本に於ける地震學の基礎的研究の必要を掲示するものであった。この天啓に促されて設置されたのが當東京帝国大學附属地震研究所である。創立の際専らその事に盡瘁[じんすい]した者は後に本所最初の所長事務取扱の職に當った工學博士末廣恭二であった。その熱誠は時の當大學總長古在由直を動かしその有力なる後援と文部省當局の支持とによって遂に本所の設立を見るに至ったのが大正十四年十一月十三日であった。本所永遠の使命とする所は地震に関する諸現象の科學的研究と直接又は間接に地震に起因する災害の豫防並に輕減方策の探求とである。この使命こそは本所の門に出入する者の日夜心肝に銘じて忘るべからざるものである。

 昭和十年十一月十三日     地震研究所


 地震研究所・図書室の方に伺ったところ碑文のプレートは、原板は消失してしまっているそうです。寺田寅彦は東京帝国大学理科大学出身であり、卒業後も講師〜助教授〜教授と就任していることから、地震研究所との因縁浅からぬものの、"寺田寅彦によって撰せられた"という微妙な言い回しであるように寺田寅彦本人が書いた、または"撰せられた"と証明する資料は何ひとつないそうです。確かにプレートにある昭和 10年(1935)は寺田寅彦の亡くなられた年なので、本人が関わった可能性は薄そうです。
現在のところは「寺田寅彦伝説」といっていいかもしれないエピソードですね。


■ 東京大学地震研究所
http://www.eri.u-tokyo.ac.jp/Jhome.html

■ 寺田寅彦(ウィキペディア・Wikipedia)ウィキペディア(Wikipedia)
http://ja.wikipedia.org/wiki/寺田寅彦

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このページは、やまだが2006年9月20日 16:21に書いたブログ記事です。

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