もと東方文化学院に設置され、現在は東洋文化研究所の正面玄関に設置されている一対の獅子像です。

東方文化学院は元々、1900年に清国で起こった義和団事件の賠償金で建てられたそうです(たてもの応援団)。獅子像自体は昭和 7年(1932)「研究資料として購入」したものだそうですが 1932年といえば、満洲国建国の年でもあり、日本が大陸で力を持ち始めた頃です。当時の日本と清国の関係を鑑みつつ、この辺り購入の経緯などは、興味があるところです。
東方文化学院は昭和 4年(1929)外務省によって東京と京都にそれぞれ附置されました。東京研究所(文京区大塚)では、経済文学部・歴史部・美術考古学部・後に近世法政学部を加え、研究部門としていました。
一方、東洋文化研究所は昭和 16年(1941)、東京大学に附置されています。法・文・経・農各学部より推薦された教授・助教授を専任教官として研究部門が構成されました。
戦後、東方文化学院は文部省に移管され、うち東京研究所は(東京大学)東洋文化研究所に吸収され、京都研究所(文京区大塚)は京都大学人文科学研究所の一部となりました。
(東京大学)東洋研究所は、文京区大塚にあった東方文化学院の建物の半分を借用し、外務省研修所と建物を分けて使用していました。昭和 40~43年(1965〜'68)、研究所は本郷キャンパス内の現在地に移転しましたが、獅子像は跡地に残されました。平成7年(1995)に外務省研修所が神奈川県相模原市に移転する際に、関係者の尽力によって永年の懸案とされていた獅子像の移転が平成 8年(1996)に実現しました。
また、家主が不在になってしまい、存続が危ぶまれた東方文化学院は保存運動の結果、保存を条件に拓殖大学に売却され、現在(2003年 4月〜)校舎の一部として活用されています。
トラックバック(0)
このブログ記事を参照しているブログ一覧: 獅子像(東洋文化研究所)
このブログ記事に対するトラックバックURL: http://www.bakyung.com/tank/mt-tb.cgi/610

コメントする