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寛永寺坂駅跡

京成線が日暮里駅から上野へと地下へ入るとすぐに寛永寺坂駅があったそうです。駅舎は運送会社に、駅前広場は駐車場になっています。
寛永寺坂駅跡


ウィキペディアに以下のような解説がありました。

駅の跡地は京成電鉄が現在もそのまま保有し、駅舎と駅前広場は運送会社に貸し出されている。駅舎が現存しているのは、貸すときの条件で取り壊しが禁じられたためとされている。また、広場の手前には国旗の掲揚台跡も残っている。地下の部分も、ホームこそ取り壊されたが空間は残っており、電車内から確認できる。

『寛永寺坂駅 - Wikipedia (2006/8現在)』より

昭和 8年(1933)〜昭和 18年(1943)の10年と、戦後の昭和 21年(1946)~昭和 22年(1947)の1年の活動だったようです。


 国旗掲揚台跡です。
掲揚台跡


国威宣揚
紀元二千六百年記念
陸軍大将男爵奈良武次書

 東櫻木町有志建之
 昭和十六年十二月八日


駅跡を探していたら、戦争の跡に出遭った次第です。


■ 寛永寺坂駅 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/寛永寺坂駅

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このページは、やまだが2006年8月12日 11:20に書いたブログ記事です。

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