, ,

Once Upon a Time in 弥生(4)明治

 浅野地区の由来は明治から昭和にかけて、浅野侯爵邸の敷地であったところから付いています。東京大学埋蔵文化財調査室サイト内で、原祐一さんが書かれた「東京大学・浅野地区の歴史」と、地域雑誌「谷中・根津・千駄木」53号と 67号を参考に、明治時代の浅野地区、弥生 2丁目を年表で振り返ってみます。


参考リンク:
東京大学埋蔵文化財調査室
>> 東京大学・浅野地区の歴史
http://www.aru.u-tokyo.ac.jp/asano_panel.htm

谷根千ねっと
>> 「谷中 根津 千駄木」既刊一覧
● 53号 特集 「地主は浅野のお殿様 向ヶ岡弥生町読本」
http://www.yanesen.net/backnumber/053/

● 67号 特集「秋色モンブラン 谷根千の甘ーい生活第二弾 - ケーキ屋さん案内」
http://www.yanesen.net/backnumber/067/
・弥生町の発掘調査から「遺跡発掘で知る[いにしえ]の暮らし」
・「藝州浅野家弥生町での日々」十七代当主、浅野長愛さんにうかがう

【追記】
● 84号 特集「上州と谷根千」
http://www.yanesen.net/backnumber/084/
・向丘弥生町の歴史

----

□ 明治以前(江戸時代):
東京大学・浅野地区(弥生 2丁目)を含む、向ヶ丘弥生は江戸時代、水戸藩中屋敷(水戸家駒込邸)がありました。
Once Upon a Time in 弥生(1)由来

□ 明治の向ヶ丘弥生町

明治 2年(1869):
これらの土地は、政府に収公されます。

明治 5年(1872):
町屋が起こされ「向ヶ丘弥生町」と名付けられます。この時の戸数は 13、人口は 64人だったそうです。

明治 10年(1877):
陸軍省用地として急遽、射的場が作られます。(*1) ちょうど現・東大浅野地区より、一段低くなった弥生 2丁目の広範な地域が射的場となりました。西南戦争(明治 10年 2〜9月)をはじめとする、各地での士族の反乱が背景にあったようです。映画「ラスト サムライ」でトム・クルーズ演じるオールグレン大尉が、警察官への射的演習シーンがありましたが、ここ向ヶ丘弥生(または、もう一ヶ所の上野公園射的場)がモデルだったのかもしれません。

浅野正門、浅野南門が面する道路(弥生 2丁目)です。この地区一帯が射撃場でした。

【追記: 10/19】
(*1) 上野公園(明治 7年建設)の代替地として、明治 9年に建設を開始し、明治 10年 1月の竣工しました。射的場の詳細は『谷中 根津 千駄木』84号、原祐一さんによる「・向丘弥生町の歴史」を参照下さい。

明治15年(1883):
以降、射的場の所轄は宮内省へ移り(*4)、明治天皇の行幸、陸軍、警視庁等の射的会が行われ、現・東大浅野地区の台地(理学部3号館北)には「弥生舎」と名付けられた迎賓施設が造られ、射的会の表彰、酒宴が催される一方で、牛乳なども製造されていました。(*2) (かつて駒込には牧場がありました)。以前にも書いた、武田先端知ビル建設前の発掘調査では、弥生土器や方形周溝墓より先に、小銃の弾丸や「弥生舎」銘の牛乳瓶などが出土しています。
弥生舎は、理 3号館(写真右の建物)から工 12号館(写真左の建物)にかけて建てらていたようです。現在は、その面影も跡もありません。
理 3号館

【追記: 10/19】
(*4)射場は同年に警視局(庁)〜皇宮地附属地(宮内省)〜東京共同射的会社と所有が移ります。

明治 17年(1884):
弥生土器が発掘されます。
Once Upon a Time in 弥生(2)土器

明治18年(1885):
警視庁の招魂社である「弥生神社」が建てられました(工学部9号館南)。弥生神社は明治20年(1887)に移転。(転々とした後、現在は「弥生慰霊堂」として北の丸公園内にあります。)

現在の工 9号館、南側。こちらも弥生神社を偲ばせるものは、何も残っていません。
工 9号館

明治 20年(1887):
浅野侯爵こと浅野長勲[あさのながこと]が、もと霞ヶ関にあった邸宅の代替地として移り住みました。「弥生舎」を増改築して、浅野侯爵邸としました。

明治21年(1888):
射的場が移転しました。

浅野侯爵が射的場跡地のほぼ全てを買い取り、以降、浅野家が地主となり向ヶ丘弥生町は、急速に宅地化が進みます。そんな頃に(明治22年)に「弥生の壺(弥生土器)」が発掘されています。(*3) 弥生坂はまだなく、向ヶ丘弥生の台地は南北に繋がっていました。

明治 27〜28年(1894〜95):
弥生坂が造られ、言問通りが延長されます。
弥生坂
根津(不忍通り)から弥生坂を仰ぎ見ると、左手の緑生い茂る丘の上に浅野侯爵邸(←弥生舎←水戸家駒込邸)が昭和 16年までありました。その後、浅野邸跡地は東京大学に移譲されました。このような所以で「東京大学・浅野地区」になったそうです。

トラックバック(0)

このブログ記事を参照しているブログ一覧: Once Upon a Time in 弥生(4)明治

このブログ記事に対するトラックバックURL: http://www.bakyung.com/tank/mt-tb.cgi/557

コメント(2)

原祐一 :

仰木さんへ
修正です
○明治 10年(1877)陸軍省用地
は、明治9年建設を開始で10年完成です。陸軍省用地は警視局です。10年警視庁になります。
○牛乳製造については、ちゃんと調査しないといけないと思っています。

原祐一 :

仰木さん
修正です。
○そんな頃に(明治22年)に「弥生の壺(弥生土器)」が発掘
 発見は、生1884(明治17) で、明治22年は貝塚と土器発見が発表された年代です。坪井正五郎「帝国大學の隣地に貝塚の痕跡有り」(東洋学芸雑誌掲載)。向ヶ岡貝塚、出土土器を紹介。弥生町開発に伴い、向ヶ岡貝塚の破壊が進行、遺跡が消滅する可能性を指摘しています。

コメントする

このブログ記事について

このページは、やまだが2006年7月 2日 18:05に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「Once Upon a Time in 弥生(3)古代」です。

次のブログ記事は「Once Upon a Time in 弥生(5)浅野」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。

Powered by Movable Type 4.21-ja