
両山堂印刷所。不忍通り側の建物です。

こちらも工場同様、大谷石で出来ていますが、正面に回ると、ちょっとしたお城風ですね。二階ベランダの造りからして、お屋敷か社宅のようですが、こちらも以前は工場だったそうで、現在は倉庫として使われているそうです。

築 60年以上になるらしい、この印刷所は、なぜ大谷石で造られたのでしょうか・・・?
現在は池之端 2丁目と呼ばれている不忍通りを挟んだこの地域は、かつては「池之端七軒町」と言われていました。そして両山堂印刷所本社は、ちょうどトロリーバス(都電)の「七軒町」停留所向かいに、あったそうです。
現在は代替わりが進み、「光画館」という別会社となっていましたが、この場所に両山堂印刷所があったのだそうです。

仕事中にかかわらず光画館のご主人に少しの時間だけお話しさせていただきました。(わずかな時間でしたので記憶違いがあるかも知れませんが、ざっと以下のようなことを伺いました。)
創業者である祖父(先々代)がこの地で印刷所を開業したのは大正時代のことで、銅板で覆われた建物は、昭和六十年代に現在のビルに建て替えるまであったそうです(そう言われてみると、この場所に銅板建築。なんとなく記憶にあるような気もします...)。戦後、物資がないころは銅板をはがされて盗まれたこともあったとか。不忍通りを挟んだ現在の場所に工場が建てられたのは昭和二十年代後半だったのではないか...。大谷石で造られたのは耐久性、ことに耐火を考えてのことだったろう、とのことでした。
う〜ん、建築にこだわりがあったようですが、それでも何故、銅や大谷石なのでしょう??
ご主人がにっこり笑って答えてくれました。
「(銅はともかく)大谷石は、先々代(創業者)が、栃木出身だからでしょうかねえ。」
あ。 なるほど! 大谷石は宇都宮だし、勝手な想像を付け加えると、銅は足尾かぁ!!・・・永年、私の中で謎だった「大谷石のひみつ」の謎が解けました〜。

トラックバック(0)
このブログ記事を参照しているブログ一覧: 光画館と両山堂印刷所
このブログ記事に対するトラックバックURL: http://www.bakyung.com/tank/mt-tb.cgi/546
コメント(2)
コメントする
拙ブログは、コメントの「投稿」後の表示が遅かったり、多重投稿になることがよくあります。
管理者(やまだ)が修正しますので、お気になさらずにコメント下さい。
また、メールアドレス(必須)はスパム対策の為で、ブログに表示される事はありません。



こんにちは。はじめまして。
両山堂印刷所の創業者は、平山秀雄という方でしょうか。
そうであれば、生誕日と没日を知りたいです。
また、印刷所の創業年月日はいつでしょうか。
なお、経歴を簡単に教えて頂ければありがたいです。
お墓が、谷中霊園にありますが、私は谷中から池之端に
またがる、墓碑を収集しています。
ご協力頂ければありがたいです。
突然、ぶしつけなお願いをしまして申し訳ありません。
よろしくお願いいたします。
上谷桜池さん、はじめまして。
平山氏が経営されていた印刷所は、両山堂印刷ではなく秀山堂印刷です。拙ブログでもいずれ『レッテル開祖』の碑について載せたいと思っていますが、まだ先になりそうです。
経歴その他は、谷中霊園平山氏の墓にあります『レッテル開祖』の碑に詳しので、そちらの碑をご確認ください。
宜しくお願いいたします。