蟲塚

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虫塚(都指定旧跡)

 虫塚[むしづか]は、伊勢(現、三重県)長島藩主である増山雪斎の意志により、写生に使った虫類の霊を慰めるため、文政 4年(1821)に建てられたものである。
 増山雪斎は、宝暦 4年(1754)の生まれ。本名を正賢といい、雪斎はその号であるが、玉園・蕉亭・石顛道人・巣丘隠人など多くの別号がある。江戸の文人大田南畝や大坂の豪商木村兼葭道など、広く文人墨客と交流を持ち、その庇護者としても活躍した。自ら文雅風流を愛し、清朝の画家、沈南蘋に代表される南蘋派の写実的な画法に長じ、多くの花鳥画を描いた。中でも虫類写生図譜『虫豸帖』は、その精緻さと木草学にのっとった正確さにおいて、殊に有名である。文政 2年(1819)66歳で没した。
 虫塚は、当初、増山家の菩提寺、寛永寺子院勧善院内にあったが、昭和初期に寛永寺に合併されたため、現在の場所に移転した。
 勧善院は、四代将軍家綱の生母で、増山氏の出である宝樹院の霊廟の別当寺として創建された。
 碑は自然石で、正面は葛西因是の撰文を大窪詩仏が書し、裏面は詩仏菊池五山の自筆の詩が刻まれており、当時の有名な漢詩人が碑の建設に関わったことが知られる。

 平成 8年 7月     台東区教育委員会

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このページは、やまだが2006年6月 4日 20:14に書いたブログ記事です。

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