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高村光太郎旧居跡

 こちらは旧跡案内のプレートがあるのみで、当時の面影を偲ばせるものは「跡形」も残っていません。
高村光太郎旧居跡


高村光太郎旧居跡

 彫刻家であり、詩人・歌人でもあった高村光太郎(1833〜1956)は、彫刻家高村光雲の長男として台東区下谷に生まれ、10歳の時にここからすぐ近く(現・千駄木 5-20-6)に移り、そこで育った。
 東京美術学校(現・東京芸大)彫刻家を卒業して欧米に留学、ロダンに傾倒する。詩人としては在学中「新詩社」に加わり、「明星」にに寄稿し、「パンの会」にも参加した。
 明治 45年(1912)に住居を父の家からこの地に移し、自分で設計した木造(外観は黒塗り)の風変わりなアトリエが完成した。以後、ここで数多くの彫刻、詩などの作品が生まれた。大正 3年(1914)長沼智恵子と結婚、昭和 13年(1938)死別後はひとりで暮らした。
 昭和 20年(1945)4月の戦災で住居は焼失し、岩手県花巻に疎開した。昭和 27年(1952)中野区桃園町の中西利雄のアトリエに仮寓。昭和 31年(1956)4月、73歳で没した。墓地は豊島区駒込の染井霊園。
 平成 7年 3月     文京区教育委員会

□ 所在地: 千駄木 5-22-8

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このページは、やまだが2006年6月 3日 17:49に書いたブログ記事です。

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