
宮本百合子ゆかりの地
旧姓中条ユリ(1899〜1951)は明治 23年(1899)小石川原町(現、千石 2丁目)で生まれた。父は建築家で、札幌農学校の設計のため札幌に赴任した。そのため 3歳までその地で過ごし、後に上京し、一家はこの奥の地である旧駒込林町 21番に住んだ。
駒込小学校、誠之小学校、お茶の水女学校から、日本女子大(英文予科)に進んだ。女子大 1年の時、毎年行っていた父方の郷里である郡山市郊外の農村を舞台にした小説『貧しき人々の群』を書き、天才少女と謳われた。女子大は一学期で退学し、作家生活に入った。
大正 7年(1918)アメリカに留学し、留学中結婚したが、帰国後離婚した。その経緯を描いた『伸子』は代表作となった。昭和 2年(1927)ソ連に旅し、帰国後、日本プロレタリア作家同盟に加入した。昭和 7年(1932)に再婚し、昭和 12年(1937)中条ユリから宮本百合子に姓名を変えた。戦後、『播州平野』など多くの小説、評論、随筆を発表し、昭和 26年(1951)実家である千駄木のこの地で没した。
このあずき色の門柱は実家、中条家の入り口の名残である。
平成 13年 3月 文京区教育委員会
□ 所在地: 千駄木 5-20、21
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