,

森鴎外観潮楼跡

 藪下通りから見た「文京区立本郷図書館鴎外記念室」
藪下通りから

所在地: 千駄木 1-23-4

観潮楼


在りし日の観潮楼
 ...彼小家の前に立って望めば、右手に上野の山の端が見え、此の端と忍岡との間が豁然として開けて、そこは遠く地平線に接する人家の海である。今のわたくしの家の楼上から、浜離宮の木立の上を走る品川沖の白帆の見えるのは、此方角である。
細木香以」(著: 森鴎外)より


わずかに残る、観潮楼跡。
観潮楼跡


 森鴎外観潮楼跡
 森鴎外(1862〜1922_)は明治 25年(1892)1月から大正 11年 7月 9日 60歳で歿するまで、この地に住み、多くの名作を残した。
 鴎外は邸宅に二階建で十二畳の書斎を増築し、遙か遠くに品川沖が眺められたので観潮楼と命名した。
 ここを文学活動の拠点とした鴎外は『青年』『雁』や、『阿部一族』『高瀬舟』などの歴史小説、さらに『渋江抽斎』に至る独自の公称史伝作品を発表した。また、明治 40年(1907)から催された観潮楼歌会には、与謝野寛(鉄幹)、石川啄木など多くの詩人や歌人が参会して、鴎外を中心とした文学者の集まりが形成された。
 観潮楼は昭和 12年(1937)の火災および昭和 20年(1945)の戦災により焼失したが、図書館の南側にある旧表門の礎石、敷石や庭園内の老銀杏、庭石(幸田露伴、斎藤緑雨ゆかりの三人冗語の石)などに、当時の面影が偲ばれる。日本文学史上、意義深いこの地に、昭和 37年(1962)鴎外記念室を持つ鴎外記念図書館を開設。
 昭和 63年 3月    文京区教育委員会


鴎外記念室の小さな中庭にも、ささやかながら観潮楼由来の石や樹木が残されています。
中庭


「根府川石」と「三人冗語の石」
「根府川石」と「三人冗語の石」


 三人冗語の石
 雑誌「めざまし草」で、新作批評"三人冗語"を担当していた 3人(森鴎外・幸田露伴・斎藤緑雨)が、この石の前で写真を撮ったことから、この名が付いた。
 この"三人冗語"で鴎外が樋口一葉の「たけくらべ」を激賞したのは有名である。

トラックバック(0)

このブログ記事を参照しているブログ一覧: 森鴎外観潮楼跡

このブログ記事に対するトラックバックURL: http://www.bakyung.com/tank/mt-tb.cgi/520

コメントする

このブログ記事について

このページは、やまだが2006年6月 1日 19:31に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「鴎外記念室」です。

次のブログ記事は「立原道造記念館」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。

Powered by Movable Type 4.21-ja