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高村光雲(こううん)・豊周(とよちか)遺宅
高村光雲(1852〜1934)は、浅草の生まれで、旧姓中島。仏師高村東雲の門で木彫を学び、師に認められてその姓を継いだ。
明治 23年(1890)東京美術学校(現芸大)の創設と同時に教授、帝室技芸員となり、以後 30余年にわたり、多くの後進を指導した。明治木彫会の中心として、伝統的木彫の正統を伝えた。代表作に「老猿」「西郷隆盛像」や「楠公像」などがある。
明治 25年(1892)に下谷からこの地に移り、昭和 9年に歿するまで、42年間住んだ。
詩人・彫刻家の高村光太郎(1833〜1956)は、光雲の長男で、大正 3年(1914)長沼智恵子と結婚と同時に、ここから近くの千駄木 5-22-8へ転居した。
鋳金家の高村豊周(1890〜1972)は、光雲の三男で、家督を継いだ。昭和8年(1933)東京美術学校(現芸大)教授となり、鋳金家協会をつくりその会長となった。「藤村詩碑」や「鼎(かなえ)による花入れ」などの作品があり、日本芸術院会員や「人間国宝」に推された。また昭和 39年(1964)新年御歌会始に召人となった。光雲の遺宅跡に、昭和 33年(1958)に住宅を新築し、昭和 47年(1972)に歿した。
昭和 62年 3月 文京区教育委員会
所在地: 千駄木 5-20-6
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