
谷中寺町と谷中霊園
「寺院の屋根の下に谷中の町がある」という表現が大袈裟でないほど寺が多く、その数は七十数軒にもなる。
寛永年間(1624 - 43)、上野寛永寺の子院がこの高台に建立されたのが谷中寺町の始まりである。それ以前は鎌倉時代創建の感応寺(現天王寺)ほか数える程しか寺院はなかった。
そして、慶安年間(1678 - 51)、江戸府内再開発という幕府の施策で、神田辺りの寺院が谷中に移転してきた。また、明暦の大火(1657)の後も、江戸府内の消失寺院がかなり移ってきた。寺の門前に町屋が形成され、また参詣にくる人で賑わい、庶民の行楽地となったのもこの頃である。
幕末の慶応 4年(1868)、上野戦争の兵火は谷中を襲い多くの寺院が焼失したが、その後再建され、震災・戦災にも遭わず、昔ながらの情緒をもった寺町を今日に残している。
谷中霊園は、明治 5年(1872)、旧天王寺境内の一部を官有とし、それに天王寺墓地、徳川墓地の一部などをあわせた谷中墓地がその始まりである。そして明治 7年(1874)、東京都の公共墓地として発足した。東京の三大霊園の一つに数えられ、広さ約 10万平方メートル、現在の墓地使用者は六千余りである。
幕末、維新以降の著名人の墓碑が数多くある。
台東区教育委員会
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