「千駄木ふれあいの杜」の由来
江戸時代、ここは太田道灌の子孫である太田摂津守の下屋敷で、その当時は、現在の日本医科大学から世尊院あたりまでの広大な敷地でした。
明治に入ると。屋敷は縮小していきます。かつての屋敷跡は「太田の原」と呼ばれ、そこは太田ヶ池がありました。周囲は田園地帯が広がる、大変に風光明媚な場所だったようです。屋敷の近くには森鴎外らの文化人が住まいをかまえ、小説の中にも周囲の風景についての文章が残されています。
大正から昭和にかけて、現在の不忍通りに市電が開通し、市街化が進みます。太田ヶ池もなくなり、住宅地となり、周囲の田畑はほとんど見られなくなりました。
時代の変遷とともに、屋敷内に連なっていた崖地の緑もここを残すのみとなりましたが、文京区の中でその貴重な姿を現在に伝えています。
今回、所有者のご好意により文京区役所との間に「市民緑地契約」が結ばれ、一般公開されることとなりました。この貴重な緑を末永く見守っていきましょう。
文京区役所

「屋敷森の原則」
この屋敷森は長い時間をかけて形成されてきました。様々な植物や小動物・昆虫などの生きものが、互いに関わり合って暮らしています。
私たちはこの森を地域の共有財産とし、野生の生きものが生息する環境を将来に渡って守り続けます。
そのために・・・
・森の外部から生きものを持ち込まない、放さない
・森の生きものを持ち出さない
・森の生きものが互いに関わり合って成育するのに
ふさわしい環境を大切にする
千駄木の森を考える会

■ 千駄木ふれあいの杜(文京区ホームページ内)
http://www.city.bunkyo.lg.jp/sosiki_busyo_kouen_annai_kuritukouen_fureainomori.html
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