坂道・階段

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坂上から


 坂道周辺の紅葉が美しかったので「紅葉坂[もみじざか]」と命名されたのだろう。別名「幸庵坂」ともいった。その命名由来は不詳。江戸後期の国学者、山崎美成[よししげ]は『金杉日記』に、「天王寺うら幸庵坂下、又三しま社のほとり秋色尤もふかし、林間に酒を[あたた]む」と記している。この記事によると、幸庵坂の名は江戸時代すでにあったことが知られる。


坂下から

JR 日暮里駅を出て


 文政 12年(1829)に成立した『御符内備考』には、「感応寺後と本行寺の間より根津坂本の方へ下る坂なり」とあるが、「根岸」の誤写の可能性がある。明治 5年『東京府志科』には、長さ十五間(約 27.3メートル)幅二間(約 3.6メートル)とあるが、現在の坂の長さは 50メートル以上あり、数値が合致しない。以前は、谷中への上り口に当たる急坂を「御殿坂」と呼んだが、日暮里駅や JRの路線ができた際に消滅したため、その名残である坂の上の部分をこう呼ぶようになったと考えられる。俗に御隠殿(寛永寺輪王寺宮の隠居所)がこの先にあったからといわれるが、根拠は定かではない。

 平成14年3月     台東区教育委員会

 御殿坂から七面坂を境に「質屋おぢさん」側が西日暮里(台東区)。長明寺側が谷中(台東区)。坂の両脇に両区教育委員会解説板が設置されています。
坂上から1


 御殿坂上から台東区長明寺の墓地裏を経て、宗林寺(通称萩寺)の前へ下る坂道をいう。坂名の由来は、坂上北側の宝珠山延命院(ほうじゅさんえんめいいん)の七面堂にちなむ。

     荒川区教育委員会


坂上から2


 宝暦年間の『再校江戸砂子(さいこうえどすなご)』に「宗林寺前より七面へゆく坂」とある。宗林寺(荒川区西日暮里 3-10)は坂下にあるもと日蓮宗のお寺、七面は坂上の北側にある日蓮宗延命院(荒川区西日暮里 3-10)の七面堂を指す。七面堂は甲斐国(山梨県)身延山久遠寺(みのぶさんくおんじ)の西方、七面山から勧請した日蓮宗の守護神七面天女を祀る堂である。
 坂は「護符内備考(ごふないびこう)」の文政 9年(1826)の書上(かきあげ)によれば、幅二間(約 3.6メートル)ほど、長さ五十間(約 90メートル)高さ二丈(約 6メートル)ほどあった。
 なお宗林寺は『再校江戸砂子』に、蛍の所在地とし、そのホタルは他よりも大きく、光もよいと記され、のちには、境内にハギが多かったので、萩寺と呼ばれた。

 平成 6年 3月     台東区教育委員会


 いつも解説板をの引用させて頂いてこう言うのも何ですが、各区教育委員会の交流や設置基準の不統一さ、いわゆる"縦割り行政"の不自由さが垣間見えてしまいますね。

 根津神社を左に見ながら回り込むように下ると参道入り口。
坂上から見た新坂

 本郷通りから、根津谷への便を考えてつくられた新しい坂のため、新坂と呼んだ。また、根津権現(根津神社の旧称)の表門に下る坂なので権現坂ともいわれる。
 森鴎外の小説『青年』(明治 43年作)に、「純一は権現前の坂の方に向いて歩き出した。・・・右は高等学校(注・旧制第一高等学校)の外囲、左は出来たばかりの会堂(注・教会堂は今もある)で、・・・坂の上に出た。地図では知れないが、割合に幅の広い此坂はSの字をぞんざいに書いたように屈曲してついている。・・・」とある。
 旧制第一高等学校の生徒たちが、この小説『青年』を読み、好んでこの坂をS坂と呼んだ。したがってS坂の名は近くの観潮楼に住んだ森鴎外の命名である。

 根津神社現社殿の造営は宝永 3年(1706)である。五代将軍徳川綱吉が、綱豊(六代将軍家宣)を世継ぎとしたとき、その産土神(うぶすなかみ)として、団子坂北の元根津から、遷座したものである。

 平成 14年 3月     文京区教育委員会

文京区根津 1丁目 21〜28


 実際は逆"S字"カーブの坂道、"Z"坂ですね。
根津神社とS坂


異人坂

 坂上の地に、明治時代東京大学のお雇い外国人教師の官舎があった。ここに住む外国人は、この坂を通り、不忍池や上野公園を散策した。当時は、外国人が珍しかったことも手伝って、誰いうとなく、外国人が上り下りした坂なので、異人坂と呼ぶようになった。
 外国人の中には、有名なベルツ(ドイツ人)がいた。明治9年(1876)ベルツは東京医学校の教師として来日し、日本の医学の発展に貢献した。ベルツは不忍池を愛し、日本の自然を愛した。
 異人坂を下りきった東側に、明治25年(1892)高林レンズ工場が建てられた。今の 2丁目 13番付近の地である。その経営者は朝倉松五郎で日本のレンズ工業の生みの親である。

 平成 9年 3月     文京区教育委員会

所在地: 文京区弥生2-13


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 日本医科大学病院裏手の坂。ちょうど坂を下りきった脇(写真では右手)の建物が大学の解剖棟にあたります。
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 坂を登り切ると「猫の家(夏目漱石旧居跡)」です。

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富士見坂

 坂下の北側の墓地は日蓮宗妙隆寺(修性院に合併)の跡。妙隆寺が花見寺と呼ばれたことから、この坂も通称「花見坂」、または「妙隆寺坂」と称された。
 都内各地に残る「富士見」を冠する地名のなかで、現在でも富士山を望むことができる坂である。

 荒川区教育委員会


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 隣に集合住宅が新築されて明るくなった「お化け階段」または「ゆうれい階段」。
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 この近辺、不忍通りに沿って走る地下鉄営団千代田線根津駅と千駄木駅のほぼ中間に辺ります。並行に走る坂上の本郷通りと、坂下の不忍通りを結ぶように根津うらもん坂。通り沿いには通称「つつじ通り」と呼ばれるように、不忍通りから歩いてすぐ左手に根津神社・北門。そこから坂の角度がやや険しくなり、根津神社を坂を挟んで斜め向かい坂上には日本医科大学があります。
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 不忍通りから日本医科大が見えます。

坂の上から・・・。
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坂下は藍染大通り。その先、不忍通りを渡ると根津神社です。

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