睦月みそかの、弥生発・見晴らし列車宵の便。出発進行〜!!

ナトリウム灯が照らす道を根津に向かって。

街に人が住み、暮らしが機能している限り、何年も何十年も何百年も、古きものは朽ち、新しいものたちが生まれていきます。建物ほどに目立ちませんが、たとえば電信柱です。電信柱が変わったところで私はちっとも気にしません。電信柱が木からコンクリートへ変わったことにいち早く気づいたのは犬だったのかも知れません。やがて電線は地中に埋められていくのでしょうが、それにいち早く気づくのは雀であるかも知れません。
十何日ぶりかに東大浅野地区東側・東大宿舎に続く道を通ったら、コンクリート製電信柱の並ぶ中、見慣れた二本の木製電信柱が消えていました。犬や雀のように電信柱の変化に素早く気づく事は出来ませんでした。残念というよりも、「よくぞ 2007年まで頑張って残っていたものだなぁ。」と思いました。もっと長く見ていたかった気持ちもあるのですが、街の風景も建物も時とともに変わっていくことは致し方がありません。否応なく時間は流れていくけれど、せめて一時、記憶にはとどめておきましょうか。・・・
本郷通りに沿った赤門と正門の間。つまりコミュニケーションセンターと法学政治学系総合教育棟の間に、現在、福武ホール(2007/11竣工予定)の竣工予定が建設中です。
実はこの建設地内に、ギリシア宮殿風の建造物があります。

かつては学内道路を隔て、一対になっていたそうですが、反対側は法学部 4号館建設の際に取り壊されてしまいました。そして今回、「情報学環・福武ホール」建設ということで、工事着工前の埋蔵文化財調査の段階から取り壊しの心配をしつつ、傍らから眺めていたのですが、福武ホールの設計が安藤忠雄であることを知って安心しました。安藤忠雄の建築は、元からある環境や歴史をうまく残し取り入れながら設計される人なので、きっと巧みに遺してくれることと、現在は福武ホール完成の日を楽しみにしています。
理学部 1号館、4号館と安田講堂の間に 2006年 12月に設置された「山川健次郎」像です。

第 6代および第 9代総長であり、後に男爵にもなった山川健次郎は会津出身で、少年時代に白虎隊にいたこともある”サムライ”でありました。

ご親族か関係者が書かれたのでしょうか…、下記で引用しています、像に掲げられた解説板で敬語が使われているのが特徴的でした。
山川健次郎(1854〜1931)
会津若松の山川重固の三男として出生。斗南藩学で英学、米国エール大学で土木工学を学ばれた。帰国後、明治 9年(1876)に東京開成学校の物理学教授補を務められ、同 14年(1881)に東京帝国大学総長を務められた。大正 12年(1923)に再任。
また、九州帝国大学及び京都帝国大学でも総長を務められ、大正 4年(1915)には男爵となった。本胸像は、山川健次郎氏の曾孫あたられる福田宏明氏宅に設置されていたものが、理学系研究科に寄贈されました。