公園・庭園
1|2 次のページへ>> 不忍通りに面し、かつて都電 20系統「池之端七軒町」停留所のあった場所に今春(2008/3〜)「池之端児童遊園」が作られました。

旧都電停留所
ここ、池之端児童公園は、かつて都電停留所(池之端七軒町)のあった場所です。
昭和 30年代の都電全盛期の時代には、20系統(江戸橋〜須田町)、37系統(三田〜須田町)、40系統(明神町車庫前〜銀座七丁目)と三つの路線が走っていた区間でしたが、昭和 42年(1967)12月に37、40系統が廃止、昭和 46年(1971)3月には 20系統も廃止になり、池之端七軒町(廃止時は池之端二丁目に改称)の停留所は姿を消しました。
平成 20年(2008)3月、都電停留所だったこの場所に都電車両を展示し、地域の歴史が学べ、まちのランドマークとなる児童公園として整備しました。
使用したレールは、東京都交通局荒川線で使われたものを再使用しました。
台東区
池之端児童遊園には、都電車両が設置されました。(展示目的なので乗車は出来ません。)

「谷根千動物園」番外シリーズ・「街角ホエールウォッチング」も大好評のうちに第 3回を迎えました。・・・"大好評"って、誰にやねん!? と、寒〜いひとりボケツッコミを入れつつ、ご紹介いたします。
湯島・新花公園のクジラです。

口には石やらゴミやら詰められて、ちょっと可哀想。

関連リンク:
ホエールウォッチング(1)・上野公園
ホエールウォッチング(2)・人形町
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* クジラの歌なのにイルカ(シュリークス)が歌っています。
* このエントリーは一部過激な画像が含まれています。"続きを読む"にあたりましては、しばし熟考お願い致します。
その"生物"は、穏やかに晴れた午後の須藤公園の池に現れました・・・。池では鯉や亀が気持ちよさげに泳いでいます。

ス〜イ、ス〜イ...。甲羅干しするカメ、泳いでいるカメもいます。・・・

・・・泳いでいるカメの大きさは 20cmはありますかね。そしてこのカメの泳ぐ水中にじっと息を潜める、須藤公園の謎の生物「スッシー(仮称)」がいたなんて !! カメラの撮られたカメの画像に映っていました〜!!!・・・その後に映された画像の、一部始終をとくと見よ↓↓↓
。・゚・(ノA`)・゚・。右下方向に...な、何かがいるよ〜。
子供の遊びか、学生のイタズラか。岡倉天心記念公園で見つけた"水風船の木"。

木の横にある水飲み場と周辺には、風船の残骸が・・・。

東京都指定旧跡:
岡倉天心宅跡・旧前期日本美術院跡
所在地: 台東区谷中 5-7
指 定: 昭和 27年 11月 3日
岡倉天心記念公園
日本美術院は明治 31年(1898)岡倉天心が中心になって「本邦美術の特性に基づきその維持開発を図る」ことを目的として創設された民間団体で、当初院長は天心、主幹は橋本雅邦、評議員には横山大観、下村観山らがいた。
活動は絵画が主で、従来の日本画の流派に反対し、洋画の手法をとり入れ、近代日本画に清新の気を与えた。
この場所に建てられた美術院は明治 31年(1898)9月に竣工した木造二階建で、南館(絵画研究室)と北館(事務室・工芸研究室・書斎・集会室)からなり、附属建物も二、三あったといわれている。明治 39年(1906) 12月に美術院が茨城県五浦(いずら)に移るまで、ここが活動の拠点となっていた。
昭和 41年(1966)岡倉天心史跡記念六角堂が建てられ、堂内には平櫛田中作の天心坐像が安置されている。
平成 11年 3月 31日建設 東京都教育委員会
「千駄木ふれあいの杜」の由来
江戸時代、ここは太田道灌の子孫である太田摂津守の下屋敷で、その当時は、現在の日本医科大学から世尊院あたりまでの広大な敷地でした。
明治に入ると。屋敷は縮小していきます。かつての屋敷跡は「太田の原」と呼ばれ、そこは太田ヶ池がありました。周囲は田園地帯が広がる、大変に風光明媚な場所だったようです。屋敷の近くには森鴎外らの文化人が住まいをかまえ、小説の中にも周囲の風景についての文章が残されています。
大正から昭和にかけて、現在の不忍通りに市電が開通し、市街化が進みます。太田ヶ池もなくなり、住宅地となり、周囲の田畑はほとんど見られなくなりました。
時代の変遷とともに、屋敷内に連なっていた崖地の緑もここを残すのみとなりましたが、文京区の中でその貴重な姿を現在に伝えています。
今回、所有者のご好意により文京区役所との間に「市民緑地契約」が結ばれ、一般公開されることとなりました。この貴重な緑を末永く見守っていきましょう。
文京区役所

朝の西日暮里駅から見る西日暮里公園(道灌山)。歩道橋から上れます。(ちなみに歩道橋で向かいに渡れば、かの有名な開成高校。)

道灌山
西日暮里四丁目の台地は道灌山と呼ばれ、江戸時代には眺めがよく、筑波や日光の連山、そして下総国府台(現市川市)などを望むことが出来た。
当時は薬草が豊富で、一年中採取者が訪れていたという。また虫聴きの名所として知られ、涼を求めて人々が集まったところでもある。
安藤広重の錦絵や正岡子規の歌などによっても当時が偲ばれる。
荒川区教育委員会
小春日和の須藤公園。カルガモでしょうか。




