建物
<<前のページへ 1|2|3|4 次のページへ>> 谷中コミュニティセンター奥手(蛍坂に面した階段途中)には学童保育施設があります。その入り口と階段坂の境に小さな柿の木があります。

アンディー・ウォーホルがキャンベル・スープの缶なら、佐野屋さんはキリンビール。整列から生まれる気持ちのよい規則性と、反復から生まれる心地よい躍動感。

上野桜木の酒店「佐野屋」。谷根千界隈の風景として御馴染みの一角です。言問通りに面し、道路の向かいには「珈琲カヤバ」、斜向かいは「下町風俗資料館(旧 吉田屋酒店)」があります。

言の聞え
使い古された言葉ですが"芸術の秋"。谷根千界隈のアートイベントは『art-Link 上野-谷中』、『谷中芸工展』と来て締めは東京芸術大学を中心としたサスティナブルアートプロジェクトによる、谷中〜言問通り界隈で展示される『言の聞え』です。展示場所(旧平櫛田中邸、間間間など)が古い建物好きにはたまりません。展示会場は 5ヶ所ほどなので、先の 2イベントよりは気軽に回れると思います。本日から約 2週間行われます。初日の今日、3ヶ所ほど見て回りました。アーティストの作品は実際観て頂くとして初めて中に入った建物の外観です。・・・
「守田

日本で、安政 5年(1858)から断続的にコレラが流行り、文久 2年(1862)頃から 3度目のコレラが全国で流行りだしました。同 3年(1863)には 江戸で大流行したそうです。
文久 2年(1862)、理学および医学を伝えるためオランダより長崎へ来日します。経緯は不明ですが(「寶丹」処方に書かれた歴史では"ある動機に依り"とあります。)ボードウィン博士の処方箋を得た九代目・守田治兵衛はこれを工夫し薬効を試した後、ボードウィン(ボードワン)からヒントを得たので「
※ 他にボードウィン博士の処方箋を元に作られた薬では『太田胃散』があります。
昔、地図などを描かされると工場は決まって、てっぺんが三角定規を重ねて並べたような絵を描きませんでしたか?よみせ通りに昔からあります旭プロセス製版の建物は、本当に典型的な昔ながらの工場の姿をしています。

現在となっては貴重なかたちですね。
おでんや「おせん」

店の造りを見てわかるように、寛永寺坂(言問通り)沿いに古くからあるおでん屋です。
まだ店に入ったこともありません。夏の、それも真っ昼間のおでん屋を紹介するのも何ですが、外観の紹介ということで...。
京成線が日暮里駅から上野へと地下へ入るとすぐに寛永寺坂駅があったそうです。駅舎は運送会社に、駅前広場は駐車場になっています。

ウィキペディアに以下のような解説がありました。
駅の跡地は京成電鉄が現在もそのまま保有し、駅舎と駅前広場は運送会社に貸し出されている。駅舎が現存しているのは、貸すときの条件で取り壊しが禁じられたためとされている。また、広場の手前には国旗の掲揚台跡も残っている。地下の部分も、ホームこそ取り壊されたが空間は残っており、電車内から確認できる。
『寛永寺坂駅 - Wikipedia (2006/8現在)』より
昭和 8年(1933)〜昭和 18年(1943)の10年と、戦後の昭和 21年(1946)~昭和 22年(1947)の1年の活動だったようです。
国旗掲揚台跡です。

国威宣揚
紀元二千六百年記念
陸軍大将男爵奈良武次書
東櫻木町有志建之
昭和十六年十二月八日
駅跡を探していたら、戦争の跡に出遭った次第です。
■ 寛永寺坂駅 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/寛永寺坂駅
藍染大通り沿いあかぢ坂下に「澤の屋旅館」があります。家庭的な雰囲気とリーズナブルな宿泊料金のため、国内旅行者はもとより数多くの海外旅行者に利用されています。



両山堂印刷所。不忍通り側の建物です。

こちらも工場同様、大谷石で出来ていますが、正面に回ると、ちょっとしたお城風ですね。二階ベランダの造りからして、お屋敷か社宅のようですが、こちらも以前は工場だったそうで、現在は倉庫として使われているそうです。

築 60年以上になるらしい、この印刷所は、なぜ大谷石で造られたのでしょうか・・・?

