2006年10月19日

谷根千便り:,歴史,向丘/弥生,東大散歩, 】

水戸藩と向ヶ丘弥生と東大と

 以前にも書いたように、向ヶ丘弥生(現・弥生 1、2丁目)を語るときに切っても切り離せないのが、東京大学埋蔵文化財調査室の研究成果です。
 弥生土器を含む弥生時代と水戸藩中屋敷があった頃の江戸時代。そして射的場や浅野侯爵邸があった頃の明治以降。これらの研究成果の殆どが東京大学キャンパス内の開発に伴う埋蔵文化財調査室の活動(発掘調査と文書調査)によるものです。これら研究成果の一端を専門家以外の私達が知ることが出来るのは、「谷中 根津 千駄木」編集部による取材や、同誌へ(寄稿を含め)協力されている、原祐一さんを始めとする埋蔵文化財調査室の報告によるものです。

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2006年07月03日

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Once Upon a Time in 弥生(5)浅野

浅野侯爵こと、浅野長勲(あさのながこと)侯は、幕末から昭和までを、藩主〜元老院議官、イタリア公使〜侯爵としてと政治に関わり、96歳の天寿を全うし、「最後の大名」と呼ばれた人でした。この東京大学浅野地区は、明治 20年〜昭和 16年(1887〜1941)まで浅野侯爵邸として浅野家の方が住んでいました。もと射撃場だった弥生 2丁目の土地を買い取り、地主として土地を貸していたそうです。

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2006年07月02日

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Once Upon a Time in 弥生(4)明治

 浅野地区の由来は明治から昭和にかけて、浅野侯爵邸の敷地であったところから付いています。東京大学埋蔵文化財調査室サイト内で、原祐一さんが書かれた「東京大学・浅野地区の歴史」と、地域雑誌「谷中・根津・千駄木」53号と 67号を参考に、明治時代の浅野地区、弥生 2丁目を年表で振り返ってみます。

参考リンク:
東京大学埋蔵文化財調査室
>> 東京大学・浅野地区の歴史
http://www.aru.u-tokyo.ac.jp/asano_panel.htm

谷根千ねっと
>> 「谷中 根津 千駄木」既刊一覧
● 53号 特集 「地主は浅野のお殿様 向ヶ岡弥生町読本」
http://www.yanesen.net/backnumber/053/

● 67号 特集「秋色モンブラン 谷根千の甘ーい生活第二弾 - ケーキ屋さん案内」
http://www.yanesen.net/backnumber/067/
・弥生町の発掘調査から「遺跡発掘で知る(いにしえ)の暮らし」
・「藝州浅野家弥生町での日々」十七代当主、浅野長愛さんにうかがう

【追記】
● 84号 特集「上州と谷根千」
http://www.yanesen.net/backnumber/084/
・向丘弥生町の歴史

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Once Upon a Time in 弥生(3)古代

平成 15年(2003)12月に、ホール、研究施設を備えた武田先端知ビルが竣工しました。
武田先端知ビル1

建てられた場所は弥生地区の西側、
武田先端知ビル2

■ 財団法人 武田計測先端知財団
http://www.takeda-foundation.jp/index.html

 平成 13年(2001)武田先端知ビル建設に先立ち、行われた発掘調査でいくつもの発見がありました。

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Once Upon a Time in 弥生(2)土器

 広く知られているとおり、弥生式土器発見にともない名付けられた「弥生土器」、「弥生時代」の名称は、ここ文京区弥生の地名に由来します。東大浅野地区の一角、弥生坂沿には地元有志の方々によって建てられた碑があります。

建碑のことば
 弥生式土器は、ここ向ヶ丘弥生町(現・弥生 2丁目)内の数カ所から初めて出土発見され、町名を冠して「弥生式」と名付けられました。
 遠いむかし、人々はこの辺りに住みつき、日本文化の曙を告げたのです。弥生式土器、向ヶ丘遺跡の発見によって、弥生時代という重要な文化期の存在が知られました。私たちは、こうした歴史の壮大で匂やかなロマンを憶いふるさとわが町の誇りを語り継ぎ、出土と命名の史実を末永く顕彰するため、この記念碑を建てました。
 昭和 39年(1964)行政措置により、この町は弥生 2丁目と変わりましたが、町会名は歴史的な名を継承しております。
 昭和 61年(1986)夏 7月吉日     向ヶ丘弥生町会有志
           高橋石材 刻

「・・・ゆかりの地」となっているのは、第一発見場所がハッキリしていないためです。それは、当初この地に多く出土していた縄文土器の一種とされていて、弥生土器として命名、区別されたことが遅かったことや、この地域の開発が急速に進んだために急速に変化し、発掘場所のスケッチと弥生土器発見時の資料公表時との風景が大きく変わってしまったことなどが挙げられています。

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Once Upon a Time in 弥生(1)由来

 東京大学・浅野地区を歩きながら弥生を振り返ってみました。弥生は、明治以降「向ヶ丘弥生」と地名が付けられました。
現在の弥生は、1丁目が東京大学弥生地区、2丁目が東京大学浅野地区と、一般住宅地ということになります。大雑把な言い方をすると、不忍通りと本郷通りの間、弥生坂(言問い通り)を中央に挟んで弥生は南北に広がっています。東京大学浅野地区を含む、弥生 1〜2丁目付近は、江戸時代まで徳川御三家のひとつ、水戸家駒込邸がありました。現在の不忍通りを挟んで東の上野山周辺の台地一体は忍岡(しのぶがおか)と呼ばれていましたので、根津の谷(不忍通り)を挟んだ、駒込側の台地一帯は、向ヶ丘と呼ばれていたようです。

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2006年06月03日

歴史, 】

旧・駒込林町の名残り

旧・町名の名残、「林町ガレージ」。写真右手が銀行通り(実際に銀行があったわけではなく、明治末期に銀行の頭取が多く住まい、坂上の見晴らしの良さからか千駄木の中では高級住宅が多い地域です)。道沿いには団子坂へ向かって、「高村光太郎(と智恵子)旧居跡」〜「宮本百合子ゆかりの地」〜「旧安田邸」〜「千駄木の郷(特別養護老人ホーム)」〜「汐見地域活動センター」(〜団子坂を挟んで「鴎外記念室」)と、住宅や各種施設などに混じって点々と建ち並んでいます。写真手前、銀行通りを道坂方向へ進むと、千駄木小学校の先に「虫の詩人の館」があります。左の道は狸坂から不忍通りへ下る道。途中には「半床庵」があります。
林町ガレージ

旧駒込林町(昭和 40年までの町名)
 雑木林の千駄木山のうちで、千駄木御林(おはやし)と称した地である。上野寛永寺創建の後、この林地を同寺の寺領とし、将軍家霊廟の材木を供給した。
 延享 3年(1746)開墾して畑となりその後、宅地を設けて町屋となった。御林跡と称えて、下駒込村に属していたが、明治 2年(1869)分かれて駒込林町と改めた。
同 24年(1891)元駒込村のうち、団子坂、上笹原を併合した。
 同 44年(1911)には千駄木をとり駒込林町と改称した。町名は武蔵野の面影を残す雑木林から命名された。

          文京区

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2006年04月11日

歴史,神社, 】

300年目の根津神社

根津神社の社殿が宝永 3年(1706)徳川綱吉によって造営されてから、平成 18年の本年300年を迎えました。夏(9/15〜9/21)には記念大祭が行われます。
300年記念大祭

「根津神社御遷座三百年記念大祭」
記念大祭では、江戸型の古式山車一基(正徳 4年(1714)に江戸城に入った獅子頭一対)と、本社御輿三基(徳川家宣公献納の大神輿)、供奉行列がが氏子町会を渡御されます。

神幸祭実施日:
平成 18年 9月 17日(日) 雨天の場合は 18日(祝)
渡御順路(予定); およそ 3.3㎞ 約 2時間の行程です。
芋甚前〜大黒せんべい前〜言問い通り〜根津 1丁目〜弥生坂上〜七倉稲荷前〜東大ボイラー前〜境稲荷前〜無縁坂下〜東天紅〜不忍通り〜根津神社まで

■ 根津神社ホームページ
http://www.nedujinja.or.jp/
・御遷座三百年大祭
http://www.nedujinja.or.jp/info/3.html

気温

http://oshige.com/cat/

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