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昨年、根津「宮の湯」がが廃業しましたが、今朝、数km南へ歩いた上野松坂屋の先にあります、朝湯で有名な、上野「燕湯」の前を通りかかったところ、シャッターが下ろされていました。

どうやら、一ヶ月以上前から営業を休まれているようです。シャッターには貼り紙がされています。

やむをえず
暫く
閉鎖致します。
廃業では
ありません。
燕湯浴主
理由はわかりませんが、その貼り紙の文章から湧き上がるのは、勇気なのか。湯気なのか。・・・何かしらの決意が感じ取られました。
【追記: 3/25】
燕湯は 3/20より営業再開しました。
ここ数日、秋葉原近くで仕事はあったので、千駄木を早めに出て谷中〜東京都台東区上野公園〜湯島〜秋葉原と一時間ほどかけてぶらぶらと歩きながら通いました。お茶の水・神保町方面と違い、秋葉原へは平坦なコースで続くので近く感じます。
JR秋葉原駅から少し離れた高架下をくぐる際に、薄汚れた道路標識を見つけまたが、その存在に気付くと何となく違和感を感じて近付いて撮影してしまいました。「止まれ」ではなく、ぎこちのないカタカナで「トマレ」とあります。高架下の道路の両面ともが工事中です。工事用にガムテープ文字で臨時に作られたものならいざ知らず、ずいぶんと剥げてはいますが路面にきちんと塗装されていました。路面も写真を見てわかるように、「トマレ」の文字左部分は掘り起こしたのか、埋めたのか、暫定的にアスファルトが敷かれています。「トマレ」をわざと残したようにも見えます。
私が奇妙に感じた一番の理由は、両方向一車線であるにもかかわらず「トマレ」の文字が右車線にあるからなのでした。左車線には本来の「止まれ」が書かれています。

京浜急行電鉄の泉岳寺 - 品川区間にある「泉岳寺トンネル(南行)」です。トンネルの上に碑(扁額)が掲げられているのですが、ご覧の通り西面には高架線路、東面は JR線路に囲まれ、地上から確認出来る場所がありません。よって、JR山手線(もしくは京浜東北線)の車両から確認するか、京急本線を、泉岳寺駅から品川駅まで最後尾の車両に乗り、背面を見続けることになります。

扁額には、このように書かれていました。
開福招慶
昭和四十三年
晴雄書

昭和 43年(1968)に約 5年をかけたトンネルが完成し、6/21に、品川 - 泉岳寺(都営地下鉄線への乗り入れ)間が開通しました。"晴雄"とは、当時の京浜急行電鉄社長であった、佐藤晴雄氏だそうです。
以前、「ホエールウォッチング(2)」で人形町のクジラ像について書いたところ、後に作者のひとりである松橋博さんから頂いたコメントから、実は谷中「art gallery

そのクジラ像の作家である彫刻家・中田浩嗣さんが残暑まだまだ厳しい 9月に「art gallery
そこで人形町の"クジラ"以外を改めて紹介します。日本橋小学校からすぐ傍の交差点脇に、このクジラ像はあるのですが、像の両脇には海面をイメージされた石盤の彫刻が設置されています。
石盤の上には、まるで水を湛えたか、のような静謐で涼しげな波紋を描いた彫刻作品が置かれています。

「守田

日本で、安政 5年(1858)から断続的にコレラが流行り、文久 2年(1862)頃から 3度目のコレラが全国で流行りだしました。同 3年(1863)には 江戸で大流行したそうです。
文久 2年(1862)、理学および医学を伝えるためオランダより長崎へ来日します。経緯は不明ですが(「寶丹」処方に書かれた歴史では"ある動機に依り"とあります。)ボードウィン博士の処方箋を得た九代目・守田治兵衛はこれを工夫し薬効を試した後、ボードウィン(ボードワン)からヒントを得たので「
※ 他にボードウィン博士の処方箋を元に作られた薬では『太田胃散』があります。
宴の後か、嵐の前か。
今朝の永田町・国会議事堂。ほぼ2年前(2003年9月3日)より、折れたままの中央塔尖塔の避雷針。直さないのか直せないのか。ある意味、現在の政治の象徴。

夏草や、魑魅魍魎は盆帰り。
谷根千から離れますが、"上野公園の鯨"繋がりということで紹介します。
人形町の街角に設置されたクジラ像。

鯨と海と人形町 (作: 松橋博 中田浩嗣)
あやつり人形のバネは今でも鯨ヒゲが使われています。特に人形浄瑠璃から伝承された文楽人形の命とも言える精妙な首の動きは、弾力に富んだ鯨ヒゲでなければ出せないそうです。
ここ人形町一帯は寛永十年(1633)頃から、江戸歌舞伎の「市村座」「中村座」、人形浄瑠璃の糸あやつり人形結城座、手あやつり人形の薩摩座などの小屋が集まり、江戸町民の芝居見物が盛んでした。
そして、それらの人形を作る人形師や雛人形、手遊物などを商う店がたくさん立ち並んでいたところから昭和8年、正式に人形町という地名になりました。
(2002年7月)

