本郷通り~染井(駒込)
1追分一里塚跡と高崎屋
東京大学弥生地区、農正門の正面には本郷通り(岩槻街道)と旧白山通りがぶつかる三叉路で「本郷追分」と呼ばれています。その場所には江戸時代「追分一里塚」があり、「高松屋」は江戸時代より現在に至るまで酒店を営業されています。

追分一里塚跡
一里塚は江戸時代、日本橋を起点として街道筋に 1里(約 4km)ごとに設けられた塚である。駄賃の目安、道程の目印、休息の場所として、旅人に多くの便宜を与えてきた。
ここは、日光御成道(旧岩槻街道)との分かれ道で、中山道の最初の一里塚があった。18世紀中頃まで、榎が植えられていた。度々の災害と道路の拡張によって、昔の面影をとどめるものはない。分かれ道にあるので、追分一里塚とも呼ばれてきた。
ここにある高崎屋は、江戸時代から続く酒店で、両替商も兼ね「現金安売り」で繁昌した。
平成 7年 3月 文京区教育委員会
■ 区指定史跡

この周辺の埋蔵文化財調査から、「高崎屋」の銘が入った酒徳利が数多く発掘されていることからも、当時の繁昌振りが想像されます。
東大追分学寮跡・埋蔵文化財調査

根津神社うらもん坂を上りきり本郷通りにぶつかると、通りを隔てやや右手に、東京大学
調査についての経過は本郷通り沿いの塀に貼り出されています。

2007/12/12と 2088/1/16に埋蔵文化財調査を見学させていただきました。両日に撮影した写真から埋蔵文化財調査の仕事の一部を(非常に大雑把にですが)紹介します。
水墨蔵
本駒込・天祖神社近くの古い屋敷の蔵です。

ちょっとね、壁が水墨画のよう。

うさぎうまさる
ウサギ、馬、猿。どんな素敵な物語でしょうか。

「都立駒込病院院内保育室」
もうひとつのサニーフェイス
2006年の art-Link 上野-谷中で好評を博し、谷中・安立寺横に常設された「サニーフェイスプロジェクト」ですが、実は本駒込には、ずっと以前からサニーフェイスがいるのです。宗政浩二さんが生み出された「サニーフェイスプロジェクト」は実体よりむしろ、オブジェが作り出す"陽光"と調和して生まれる作品ですが、こちらは鳥除け防止の必要性から、だけどちょっと遊び心も加えて生まれた"不気味に"輝く、ニヒルなサニーフェイスです。
岩槻街道(本郷通り)
東京大学本郷キャンパスの前を走る本郷通りを、言問通りと交わる本郷弥生交差点付近から本郷 3丁目方面を向いた風景です。向かって左が東京大学・本郷キャンパスです。

本郷通りは江戸時代には「岩槻街道」とも「将軍御成道」とも呼ばれていました。
