東大散歩
<<前のページへ 4|5|6|7|8|9|10|11|12|13 次のページへ>> 正門から安田講堂へ至るメインストリートに、「銀杏」を選んだのは第 3代総長浜尾新だそうです。

「桜など植えれば新学期早々、学生が浮かれてしまうから。」という理由からと言われています。
東京大学総合研究博物館(1996〜)です。

東京大学における、学術的な研究成果、所蔵コレクションなどを定期的に企画・展示しています。一般の博物館に優るとも劣らない貴重な展示物が入館無料で(!)、観られます〜 !!
■ 東京大学総合研究博物館(東京大学)
http://www.um.u-tokyo.ac.jp/
現在は存在しない「懐徳館」洋館の面影が偲ばれる庭園門の遺構です。

※ 現在は立ち入り禁止で、許可無く近くまでは行けないようです。(しばらく前に撮影したものです。)
・・・じゃないですね、どう見ても。

本当は「旧前田侯爵邸(懐徳館)西洋館の基礎」です。東京大学総合研究博物館の途中に、ゴロンと置かれた煉瓦の塊です。

山上会館の裏手に、わずかながら石垣があります。

この石垣は、東京大学山上会館の建設に伴う発掘調査で発見され、その一部を移築復原したものである。東西方向に北面して約 15mにわたって検出された。三段目まで現存していたが、本来はもっと高く、上に瓦葺き建物が存在した可能性がある。石材は溶結凝灰岩および安山岩で、採石時の鑿跡と刻印が認められる。刻印には金沢城と共通するものがある。江戸時代初期の構築と考えられるが、前田家の史料、絵図には記載が観られない。
昭和 61年 7月 東京大学
東京大学本郷キャンパス南端に、現在は迎賓施設として使われている和館「懐徳館」があります。

加賀藩上屋敷は敷地の殆どを廃藩置県(1871)に収公され文部省用地となりますが、東京大学発足後も旧加賀藩敷地南端には前田家が屋敷と庭園を構えていました。大正 15年(1926)、前田侯爵邸(屋敷と庭園)は、公用施設として永久に残すことを約束し、東京大学(代々木演習林、駒場農学部敷地)との敷地交換が行われました。
前田家から譲られた当時は和館とネオルネサンス風洋館、庭園で構成されていました。関東大震災があり、学内は修復工事に追われ、しばらく手つかずに放置されていましたが、昭和 8年(1933)に前田家からの寄付によって補修後、昭和 10年(1935)に修復し、使用出来るようになりました。その際に、『論語』の「君子懐徳」から「懐徳館」と名付けられたそうです。
しかし、懐徳館は東京大空襲(1945/3/10)にて消失してしまいます。(一般によく言われている「東大が空襲の対象から外されていた。」というのは"正確には"、誤りです。)
現在の懐徳館は、終戦後しばらく経った昭和 26年(1951)に「総長官舎」の名目で予算を獲得したものの決して多くはない財源の中で、旧和館の面影と迎賓施設としての機能面を考慮しながらの設計(設計: 拓殖芳男)と、資材調達(伊勢神宮造営時の不要材の寄贈や、払い下げの再利用など)に腐心しつつ、和館のみが再建されました。





