東大散歩

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 東京大学・浅野地区を歩きながら弥生を振り返ってみました。弥生は、明治以降「向ヶ丘弥生」と地名が付けられました。
 現在の弥生は、1丁目が東京大学弥生地区、2丁目が東京大学浅野地区と、一般住宅地ということになります。大雑把な言い方をすると、不忍通りと本郷通りの間、弥生坂(言問い通り)を中央に挟んで弥生は南北に広がっています。東京大学浅野地区を含む、弥生 1〜2丁目付近は、江戸時代まで徳川御三家のひとつ、水戸家駒込邸がありました。現在の不忍通りを挟んで東の上野山周辺の台地一体は忍岡[しのぶがおか]と呼ばれていましたので、根津の谷(不忍通り)を挟んだ、駒込側の台地一帯は、向ヶ丘と呼ばれていたようです。

 東京大学・本郷キャンパス内の、工学部(本郷地区)と農学部(弥生地区)に架かる歩道橋です。
言問通りに架かる歩道橋


 橋下は弥生坂上、言問通り。両キャンパスの高い石塀に挟まれていることから、東大生らはこの場所を、通称「ドーバー海峡」と名付けています。
歩道橋

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三四郎池(育徳園)
加賀藩主前田氏が、現在の赤門から池にかけての一帯の地を将軍家から賜ったのは、大阪の没後のこと。園池を大築造したのは寛永 15年(1638)、その性、豪宕で風雅を好んだという当主前田利常のときである。かれの死後、綱紀がさらに補修して、当時江戸諸侯邸の庭園中第一と称せられた。
育徳園と命名され、園中に八景、八境の勝があって、その泉水・築山・小亭等は数寄をきわめたものだといわれている。池の形が「心」という字をかたどっており、この池の正式名称は「育徳園心字池」なのだが、夏目漱石の小説「三四郎」以来、三四郎池の名で親しまれている。

 安田講堂へ続く銀杏並木。
銀杏並木1

銀杏並木


東京大学本郷キャンパス内のイチョウ並木。
今年は暖かい日が多いせいかまだ緑のイチョウも目立つ。


東京大学お土産や

 11月、東京大学構内(本郷キャンパス内・赤門北隣)にOPENした、コミュニケーションセンター。

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