東大散歩

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 かつては東京大学医学部&附属病院の象徴であり別称でもあった「鉄門」は、医学部&附属病院関連の団体やサークルの俗称(もしくは愛称)として受け継がれ続けました。医学部同窓会は「鉄門倶楽部」であり、医学部のサークルには「鉄門○○部」といったように決まって"鉄門"が使われています。
 2006年 6月、東京大学医学部及び附属病院の創立 150周年記念事業の一環として、無縁坂から龍岡門へ至る途中に「鉄門」が再建されました。
鉄門


鉄門

 東京大学医学部と附属病院の創立は安政 5年(1858)、神田お玉ヶ池の川路聖謨[かわじとしあき]の屋敷地に開設された種痘所にさかのぼる。種痘所は類焼により同年、下谷和泉橋通りに移転した。種痘所の門塀は厚い板を鉄板で囲い、鉄板の間を頭の丸い鋲釘で打ち付け真っ黒に塗ってあったので、江戸の人々は種痘所を「鉄門」と呼んでいた。種痘所は西洋医学所〜医学所〜医学校〜大学東校〜東校〜東京医学校と改称され、明治 10年(1877)に東京大学医学部となった。
 東京医学校は明治 9年(1876)に本郷に移転した。本館は時計台のそびえる洋館で、現在の附属病院外来棟玄関の辺りに建てられた。正門はその向かい、現在の南研究棟(通称・赤レンガ)の位置(本地点より西に約 30メートル)に設置された。移転当初は種痘所の門扉も使用されたが、やがて格子模様の鉄製扉に代えられた。
 当時、医学部正門は本郷キャンパスの正門であった。明治 17年(1884)に法・文学部が、翌年理学部が神田一ツ橋から移転してきたことにより、共通の公式門として本郷通り側に正門が設けられ、以後、医学部正門は鉄門と呼ばれるようになった。しかしながら、大正期に鉄門前の民有地が構内に取り込まれたため鉄門は撤去された。
 東京大学医学部の創立 150周年を記念し、鉄門をゆかりのある無縁坂上に再建した。末永く多くの人々に愛されることを願うものである。

 東京大学医学部・医学部附属病院

 不思議な石灯籠と横には灯籠跡らしき石。ここだけ何か荒れていますけれど、造成中か何かでしょうか?と、言ってもず〜っと以前よりこんな感じで気にはなっていました。
蛇塚


 撮影後に知ったのですが、加賀藩邸の時代に不義を働いた奥女中をヘビを使って折檻し、この場所で刑死された、その女中を弔うために建てられた灯籠だと言われているそうです。無闇に塚をいじると祟られる、というので、お祓いをされた教授もいたそうですが、実際に昔から大きく移動されていないところをみると、その教授ばかりが言い伝えを信じていたわけでもなさそうです。今でも選定作業をする造園業の方はお祓いを受けてからこの周辺の作業をしているそうです。


 うわぁ〜!! そんな話を知っていたら、ズカズカと石灯籠に近づいて写真なんか撮らなかったのにぃ...
..._/ ̄|○...

 農正門を入り警備員室後方に、朱舜水記念碑があります。朱舜水[しゅしゅんすい](1600 - 1682)は明の儒学者で、明朝の滅亡後、日本に亡命してきました。1665年(寛文5),水戸藩第二代藩主徳川光圀に招かれ,水戸藩江戸屋敷にて生活しながら広範な知識を藩内に教え、伝えました。『大日本史』の編纂や後の「水戸学」へも多大な影響を与えた、と言われています。
朱舜水先生終焉之地碑


□ 東京都指定旧跡
所在地: 文京区弥生 1-1-1
指定: 昭和 12年 9月 22日


 いまや携帯電話や ICタグ埋め込みカードなど、徐々に浸透しつつある"ユビキタスな(※1)"社会とTRON(※2)を担いでそれを推進する坂村研究室(坂村健教授)。坂村研究室のお膝元、本郷キャンパスにも銅像の前などにチラホラと、観光ガイドと思われるバーコード盤が設置されていました。
東京大学 21世紀 COE


ucodeものは試しに携帯電話をバーコードにかざしてみました。・・・が、不明な数字の羅列が呼び出されただけでした・・・残念。情報センターで伺ったところまだ華道はしていない、とのことでした。頂いた資料を見ると、どうも携帯型の専用端末で情報を呼び出して、情報が呼び出せるようなのですが詳細はまだわかりません。出来れば専用端末のレンタルよりも買いたい電話やiPodなどで音声とテキスト、画像、位置情報などいろいろ呼び出せたら楽しそうですね。いや、携帯電話の進化を見ているとすぐ近い将来にも叶いそうです。
 そして、谷中・根津・千駄木・上野公園にもいずれ設置されたらどんなに楽しく便利でしょう。店情報など広告を入れるなどのビジネスモデルが出来ると普及が早まるかもしれません。歴史や地図ルートといった情報からクイズやスタンプラリー、オリエンテーリングなどいろいろな利用のアイデアが出てきそうですね。それが「ユビキタス情報社会(同じく※1)」なのですよね。


■ 東京大学 21世紀 COE
http://www.u-tokyo.ac.jp/coe/index_j.html
>> 次世代ユビキタス情報社会基盤の形成
http://www.u-tokyo.ac.jp/coe/list28_j.html


■ 東京大学坂村研究室
http://www.sakamura-lab.org/


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 赤レンガで覆われた理学部化学東館は大正 5年(1916)竣工。東京大学における最初の鉄筋コンクリートによる建築で、関東大震災の被害をほとんど受けなかった建物です。
化学東館

 東京大学地震研究所 2号館のエレベーターホールの壁に掲げられている"地震研究所創立10周年を機に、寺田寅彦によって撰せられた銅板の碑文"(地震研究所ホームページ)とされているものです。
エレベーターホール


 寺田寅彦(1878年 - 1935)は夏目漱石とも深い親交があった、文学者であり科学者でもあった人物です。

 龍岡門から入りすぐ左手に見えるのが東京大学本部棟(右)と第 2本部棟(左)です。
本部棟&第二本部棟


 当時、工学部名誉教授であった丹下健三(1913 - 2005)の設計で、理学部5号館(現・第二本部棟)は昭和 51年(1976)に、東京大学本部庁舎(本部棟)はとして昭和 54年(1979)に完成しました。
東京大学の新たなシンボルとするべく、建築の四隅にタワーを立てその中間にブリッジを渡す新しい工法を採用し、当初の設計では高層建築になる予定でもありました。しかし当時はあくまでも安田講堂が東大のシンボルであり、安田講堂より高い建物を建てることを拒まれ、現在の高さ(地上12階 地下2階)に落ち着いたそうです。


■ KENZO TANGE OFFICIAL SITE
http://www.ktaweb.com/
>> 作品から「東京大学本部庁舎・理学部校舎」全景写真が見られます。

 加洲大聖寺藩 [だいしょうじはん]江戸上屋敷址の記念碑です。
大聖寺藩江戸上屋敷址


大聖寺藩由来記

 寛永 16年(1639)6月 20日加賀藩三代藩主前田利常公は 47歳の若さで小松に隠居し、嫡子光髙に加賀藩八十万石を、二男利次に富山藩十万石を、三男利治に大聖寺藩七万石を与え分封した。
 大聖寺藩領は江沼郡全域(百三十三ヶ村)と郡谷村及び能美郡六ヶ村を加えたものであった。九代藩主利之の文政 4年(1821)新田一万石、加賀藩から現米二万俵を受け加賀藩からの願出により幕府から十万石の待遇を公認された。以降十四代利鬯[としか]まで十万石として明治 4年(1871)廃藩置県により、大聖寺県となるまで続いた。
 九谷焼は初代藩主利治が後藤才次郎に命じ、領内九谷村に窯を築き産出したと伝えられており、その窯跡は国指定史跡「九谷磁器窯跡」として残されている。
 この地大聖寺藩江戸藩邸(5997歩)跡を史実の証として石碑を設立し、後世に伝えるものである。

 平成 10年 1月

そして記念碑には九谷焼の皿が埋め込まれていました。

(藩)大聖寺まちなみ景観整備委員会
 会長 久藤豊治
 一 里 塚
加賀市長 矢田松太郎

 東京大学農学部3号館は昭和 16年(1941)建造されました。
農学部3号館


 大学内の震災復興計画を指導した内田祥三による設計で、いわゆる「内田ゴシック」を踏襲した様式で造られています。平成 15年(2003)都選定歴史的建造物にも指定されています。

 昭和 10年(1935)この地(現・東京大学弥生地区)にあった旧制第一高等学校が駒場(現・東京大学駒場キャンパス)へ移転する際に建てられた石碑です。農正門より入り右手、弥生講堂の奥に言問通りを背にして建てられています。
向陵碑


 旧制第一高等学校は、それまであった一ツ橋から明治 22年(1889)、向ヶ丘弥生へ移転し、駒場へ移る 46年のうちに通称「一高」とも「向陵」(陵は大きな岡を表し、すなわち"向ヶ丘"の漢学表現)とも呼ばれていました。
その校風や歴史は旧制第一高等学校ホームページに詳しいですが、旧制第一高等学校とは現在でいえば附属高校に近いのでしょうか。昭和 25年(
1950)にその歴史を閉じ、東京大学 1~2年の教養学部がそれに変わってあるようです。


■ 旧制第一高等学校 ホームページ
http://www6.ocn.ne.jp/~kohryoh/index.html

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