上野恩賜公園
<<前のページへ 1|2|3|4|5|6|7 次のページへ>>ボードワン博士像・顛末記
9月 25日撮影、取り外される前の「ボードワン博士像」です。

オランダ一等軍医ボードワン博士は医軍講師として 1862年から1871年まで滞日した。かつてこの地は、東叡山寛永寺の境内であり、上野の戦争で荒廃したのを機に大学附属病院の建設計画が進められていたが、博士はすぐれた自然が失われるのを惜しんで政府に公園づくりを提言し、ここに 1873年日本で初めての公園が誕生するに至った。上野恩寵公園 100年を記念し博士の偉大な功績を顕彰する。
実はこの胸像の人物は"アルベルト・ヨハネス・ボードワン博士"の実弟、"アルフォンス・ハーメル・ボードワンオランダ領事"だったそうです。碑文に書かれてあるように"上野恩寵公園 100年を記念し"、 ボードワン博士像は 1973年 10月に設置されました。ところが、ボードワン家の親族がオランダ大使館から依頼された彫刻家に、兄弟の写真を取り違えて写真を渡してしまっていたのでした...。
帰ってきた?ボードワン像です。

ご存じの通り、上野公園はブルーシート・テント生活者が大勢住んでいます。ボードワン像の周辺も同様です。「郷には入っては郷に従え」と言うわけでもないのでしょうが、帰ってきたボードワン像はブルーシートの中にスッポリと覆われています。ま、今週末までの間だけですが。
いまだ、主が行方知れず?の「ボードワン像」台座ですが、後方に廻ってみますと、いつの間にか一段、刻字が増えていました。

上段
東京都
台東区
上野観光連盟
オランダ大使館
1973年 10月
下段
東京都
台東区
上野観光連盟
オランダ大使館
大阪市 法性寺
2006年 10月
消えたボードワン博士 ?!
気持ちのいい秋の一日。土砂降りの昨日まではいたのだけれど、ボードワン博士もお散歩に...?いえ、いえ。詳しい話は 10月になってから。...

森の生活者へ森からの贈り物
日曜日の朝などに上野公園には、よく救世軍やら支援団体がやって来て炊き出しやら床屋やら、テント生活者のイベントよろしく賑やかで長い行列が出来たりしています。人間とは不思議なものです。社会生活に馴染めずにここに住む人達にもちゃんと"社会"は出来てしまうのです。
無造作に森林内の通路で乾されていた銀杏の実。上野の森で収穫される数少ない食糧です。

美味そうだなあ。

上野の山が実は国際救助隊の基地で、この装置はサンダーバード 1号の発射台、という訳でも、どこかの国から突然のミサイルを撃墜するための、長距離地対空ミサイル「パトリオット」配備という訳でもありません。

国立科学博物館に屋外展示してある、ラムダ・ロケット用ランチャ(打ち上げ装置)です。平成 17年(2005) 3月に設置されました。
上野公園の木陰には沢山のブルーシート・テント住居がありますが、そんな片隅で見つけたのが、台車に載せられた小型のソーラーパワーシステム・・・だと思うのですが、台車の貼り紙には「光子力充電中」??


何かのパフォーマンスか?誰かの実験なのか?それともブルーシート・テントの住人の生活道具なのか ??
まさか本当に「光子力」をどこかの大企業が秘密裏に実験していたり...する訳ないですね。
近頃、東大づいていますが、根津を挟んだ上野では藝祭 '06(2006.9/8〜10)が開催されています。学生らの出店や展示を横目で眺めつつ、一目散に美術学部絵画棟を目指します。

谷根千〜上野公園を俯瞰するのに最高の場所なのです。
谷根千側。年々高い建物が増えて眺望が悪くなりつつあります。右奥が谷中霊園です。

こちらの緑が上野公園〜不忍池。やはり不忍通り沿いに高層マンションが増えています。

これらを眺めた後、のんびり階を下りながら学生作品を鑑賞しつつ、帰路につきました。
国会議事堂のようなこの建造産津は、上野公園内、東京国立博物館の一角、黒田記念館の正面に位置する場所に、京成電鉄・京成本線の「博物館動物園駅」跡があります。

上野公園内にあります、東京国立博物館に屋外展示されています。外観だけでしたら、このように平日でも館外から見ることが出来ます。(土曜日なので、門が開かれており、館内からならば門をくぐり、近くから造りをじっくり鑑賞することができます。

開門日時: 土曜日・日曜日・国民の祝日
