西日暮里
<<前のページへ 1|2|3|4|5|6|7|8|9|10 次のページへ>> 諏訪台通りまで溢れ出した養福寺の八重桜。

桜天井。


「千鳥」

「龍」

レリーフ (2) "千鳥"と"龍"との続きを読む

文政 12年(1829)に成立した『御符内備考』には、「感応寺後と本行寺の間より根津坂本の方へ下る坂なり」とあるが、「根岸」の誤写の可能性がある。明治 5年『東京府志科』には、長さ十五間(約 27.3メートル)幅二間(約 3.6メートル)とあるが、現在の坂の長さは 50メートル以上あり、数値が合致しない。以前は、谷中への上り口に当たる急坂を「御殿坂」と呼んだが、日暮里駅や JRの路線ができた際に消滅したため、その名残である坂の上の部分をこう呼ぶようになったと考えられる。俗に御隠殿(寛永寺輪王寺宮の隠居所)がこの先にあったからといわれるが、根拠は定かではない。
平成14年3月 台東区教育委員会
御殿坂から七面坂を境に「質屋おぢさん」側が西日暮里(台東区)。長明寺側が谷中(台東区)。坂の両脇に両区教育委員会解説板が設置されています。

御殿坂上から台東区長明寺の墓地裏を経て、宗林寺(通称萩寺)の前へ下る坂道をいう。坂名の由来は、坂上北側の宝珠山延命院(ほうじゅさんえんめいいん)の七面堂にちなむ。
荒川区教育委員会

宝暦年間の『再校江戸砂子(さいこうえどすなご)』に「宗林寺前より七面へゆく坂」とある。宗林寺(荒川区西日暮里 3-10)は坂下にあるもと日蓮宗のお寺、七面は坂上の北側にある日蓮宗延命院(荒川区西日暮里 3-10)の七面堂を指す。七面堂は甲斐国(山梨県)身延山久遠寺(みのぶさんくおんじ)の西方、七面山から勧請した日蓮宗の守護神七面天女を祀る堂である。
坂は「護符内備考(ごふないびこう)」の文政 9年(1826)の書上(かきあげ)によれば、幅二間(約 3.6メートル)ほど、長さ五十間(約 90メートル)高さ二丈(約 6メートル)ほどあった。
なお宗林寺は『再校江戸砂子』に、蛍の所在地とし、そのホタルは他よりも大きく、光もよいと記され、のちには、境内にハギが多かったので、萩寺と呼ばれた。
平成 6年 3月 台東区教育委員会
いつも解説板をの引用させて頂いてこう言うのも何ですが、各区教育委員会の交流や設置基準の不統一さ、いわゆる"縦割り行政"の不自由さが垣間見えてしまいますね。
JR日暮里駅北口を出てすぐ。御殿坂の途中に本行寺があります。

月見寺(本行寺)
本行寺は、大永 6年(1526)、江戸城内平河口に建立され、江戸時代に神田・谷中を経て、宝永 6年(1709)、現在地に移転した。景勝の地であったことから通称「月見寺」ともよばれていた。二十世の日桓(にちかん)上人(俳号一瓢)は多くの俳人たちと交友があり、小林一茶はしばしば当寺を訪れ、
青い田の、露をさかなや、ひとり酒」
などの句を詠んでいる。
儒学者市河寛斎(いちかわかんさい)・米庵(べいあん)父子や、幕末・維新に活躍した永井尚志(ながいあおゆき)などの墓がある。戦国時代に太田道灌が斥候台(せっこうだい)を築いたと伝える道灌物見塚があったが、現在は寛延 3年(1750)建碑のみ残る。
荒川区教育委員会

毎年恒例。お彼岸(春分・秋分)に合わせて三日間、質屋おぢさんが開催するガレージセールです。今回は 3/18,19,20(金・土・日)に開かれました。

七面坂に面した、(文字通り)ガレージが会場です。


富士見坂
坂下の北側の墓地は日蓮宗妙隆寺(修性院に合併)の跡。妙隆寺が花見寺と呼ばれたことから、この坂も通称「花見坂」、または「妙隆寺坂」と称された。
都内各地に残る「富士見」を冠する地名のなかで、現在でも富士山を望むことができる坂である。
荒川区教育委員会

雨宿りに JR西日暮里駅(東京メトロ千代田線・西日暮里駅)そばのマクドナルドに入ったら、眼下の尾久橋通りの真上を工事中の舎人新線(新交通 日暮里・舎人線)が...。もうここまで伸びてきていたのか !!平成19年度開業に向けて、JR 日暮里駅前へと着々と南下中。

朝の西日暮里駅から見る西日暮里公園(道灌山)。歩道橋から上れます。(ちなみに歩道橋で向かいに渡れば、かの有名な開成高校。)

道灌山
西日暮里四丁目の台地は道灌山と呼ばれ、江戸時代には眺めがよく、筑波や日光の連山、そして下総国府台(現市川市)などを望むことが出来た。
当時は薬草が豊富で、一年中採取者が訪れていたという。また虫聴きの名所として知られ、涼を求めて人々が集まったところでもある。
安藤広重の錦絵や正岡子規の歌などによっても当時が偲ばれる。
荒川区教育委員会
西日暮里公園 '05 秋の続きを読む
今年(来年!?)も、臼が活躍する時期になりました。
