千駄木
<<前のページへ 7|8|9|10|11|12|13|14|15|16 次のページへ>>「文京区立鴎外記念本郷図書館」は、図書館を 4/11(火)より、新たに建てられた「汐見地域センター」内に「文京区立本郷図書館として 移転(千駄木 3-2-6)しました。

「森鴎外観潮楼跡」でもある現在地は 6/1(火)より「鴎外記念室」としてリニューアルされ開室されるそうです。
公開はされていません。

高村光雲(こううん)・豊周(とよちか)遺宅
高村光雲(1852〜1934)は、浅草の生まれで、旧姓中島。仏師高村東雲の門で木彫を学び、師に認められてその姓を継いだ。
明治 23年(1890)東京美術学校(現芸大)の創設と同時に教授、帝室技芸員となり、以後 30余年にわたり、多くの後進を指導した。明治木彫会の中心として、伝統的木彫の正統を伝えた。代表作に「老猿」「西郷隆盛像」や「楠公像」などがある。
明治 25年(1892)に下谷からこの地に移り、昭和 9年に歿するまで、42年間住んだ。
詩人・彫刻家の高村光太郎(1833〜1956)は、光雲の長男で、大正 3年(1914)長沼智恵子と結婚と同時に、ここから近くの千駄木 5-22-8へ転居した。
鋳金家の高村豊周(1890〜1972)は、光雲の三男で、家督を継いだ。昭和8年(1933)東京美術学校(現芸大)教授となり、鋳金家協会をつくりその会長となった。「藤村詩碑」や「鼎(かなえ)による花入れ」などの作品があり、日本芸術院会員や「人間国宝」に推された。また昭和 39年(1964)新年御歌会始に召人となった。光雲の遺宅跡に、昭和 33年(1958)に住宅を新築し、昭和 47年(1972)に歿した。
昭和 62年 3月 文京区教育委員会
所在地: 千駄木 5-20-6
春の嵐。一日中強風で、晴れ間が見えたり、叩きつけるように雨が降ったり。路地で散り終えた八重桜の花片が塗れたマンホールに貼り付いて、アスファルトに桜色の円を描きました。


へび道の端(根津側)から路地を入った場所にあります。

■ ギャラリー KINGYO
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■ ギャラリーKingyo ローカル日記
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「千駄木ふれあいの杜」の由来
江戸時代、ここは太田道灌の子孫である太田摂津守の下屋敷で、その当時は、現在の日本医科大学から世尊院あたりまでの広大な敷地でした。
明治に入ると。屋敷は縮小していきます。かつての屋敷跡は「太田の原」と呼ばれ、そこは太田ヶ池がありました。周囲は田園地帯が広がる、大変に風光明媚な場所だったようです。屋敷の近くには森鴎外らの文化人が住まいをかまえ、小説の中にも周囲の風景についての文章が残されています。
大正から昭和にかけて、現在の不忍通りに市電が開通し、市街化が進みます。太田ヶ池もなくなり、住宅地となり、周囲の田畑はほとんど見られなくなりました。
時代の変遷とともに、屋敷内に連なっていた崖地の緑もここを残すのみとなりましたが、文京区の中でその貴重な姿を現在に伝えています。
今回、所有者のご好意により文京区役所との間に「市民緑地契約」が結ばれ、一般公開されることとなりました。この貴重な緑を末永く見守っていきましょう。
文京区役所

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不忍通り沿いに根津〜千駄木はあるのですが、ちょうど真ん中にぶつかる根津うらもん坂を境に千駄木方面と根津方面で、クリスマス向けイルミネーションが変わります。こちら千駄木側は鈴が付いた赤いオーナメント(夜は見えませんが)にシンプルな豆電球が点々と光っています。






