根津

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 今夜、根津教会からはオルガンを伴奏に賛美歌は聴かれず、薩摩琵琶を弾きながら唄う川嶋信子さんの演奏が流れていました。
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 チケットは完売したそうです。(キャンセル待ちは問い合わせしてみてください。)今回、川嶋信子さんが弾かれる薩摩琵琶を聴く機会を逸した方は、来週「駒込大観音ほおずき千成り市」7/10(火)16:00〜にて演奏があります。


■ 谷中琵琶スタイル
http://blogs.yahoo.co.jp/ken55ken1010

 一昨日、不忍通りから脇へ入った根津の路地裏で火事がありました。不幸中の幸いにして住人は無事で延焼も免れたようです。それにしても、どうやって消火したのでしょうか。
路地裏の火事


 裏手、妙極院からみた火事の住宅です。

 根津観音通り沿いの古い造りの家があります。2匹のコーギーが飼われており、古い家は何かのスタジオらしいのですが詳細は知りません。
 通りに面した軒先では、いつも美しい水鉢の睡蓮を愉しませてくれます。

 降り出した雨粒に濡れる三色の睡蓮。そろそろ梅雨も本番に入りそうです。

睡蓮

 購読し、またリンクもさせて頂いている masaさんの『Kai-Wai 散策』に先日「根津遊郭の名残」のエントリー(記事)がありました。最近解体されてしまった建物が、実は根津遊廓の名残であったことを初めて知りました。・・・
根津遊郭の名残
(撮影: 2006/06/19)


 この建物は根津交差点より約 200mほど不忍池に行った辺りなので、根津遊廓は想像以上に栄えていたのかも知れません。
...で、この建物が根津遊廓の名残とわかったら、「北見楼」跡との共通点が気になってしまいまして、、、。根津遊郭の名残Kai-Wai 散策)下欄の masaさんのコメントを読まれるとわかりますように、この根津遊廓跡のほぼ向かい側には米屋(兼お弁当屋)があります。そして北見楼跡のお隣も米屋(兼お弁当屋)なのです。
 家相から見て、米屋の傍は古い建物が残りやすい。とか民俗学から見た、米屋と遊廓のつながり。・・・なんて研究はある訳ないッスね。


■ 根津遊郭の名残(Kai-Wai 散策

http://mods.mods.jp/blog/archives/001223.html

「温故知新。」と呟いて、古い木造家屋とモダニズム建築との共通性を強引に結びつけてみたりしながら散策する日曜日。
木造住宅


格子窓

 高い日陰に、低い日向に、横たわる。
猫3匹

 根津教会裏です。いつも違う猫が 1匹でいます。交代制でしょうか。...
路地猫


 こちらに気付くなり駆けて来て、しばらくすり寄っていたのですが、今度はそれを見つけた子供が目を輝かせて駆けて来ました。その途端、逃げる猫と追い続ける子供。

「文京つつじまつり」で賑わう、不忍通りから新坂(S坂)への門前通りです。
門前通り


 かつて栄えた遊廓の賑わいを、貧しい想像力で思い描いてみるのですが・・・
門前通り


 現在の門前通りではなく、おそらく現在の不忍通りとほぼ並行に走る(つまり斜めに道路に面している根津神社の鳥居からまっすぐと根津駅付近へ延びるような、)と、通りがあったのでしょうか...。この界隈には江戸と明治の一時期、遊廓が建ち並び、大層賑わったそうです。
杉本染物舗」の横に次のような解説板が設置されています。


根津遊廓の跡地

 根津八重垣町(昔は門前町と言った)から根津神社まで遊廓があった。そして昔根津は不寝と書かれていたようだ。小石川本郷と谷中の中間の谷間で、天保十有余年この根津に娼妓[しょうぎ]がいたことを記している。更に当時の江戸市中の風紀から見て一大改革が持たれ、俗に言う水野越前守の禁粛政治で根津遊廓も禁止した。明治維新となるやこの根津の遊廓復帰は声高く叫ばれ公然と開業された。ところが東大、一高が本郷向丘に開設されるに及び、再びこの根津遊廓廃止論は大きく起こった。そして遂に明治 20年(1887)12月限りで廃止。その殆どは洲崎に移り、また一部は吉原に移った。明治 15年(1882)当局の調査によると吉原(娼妓 1,019人)、根津(娼妓 688人)、品川(娼妓 588人)と記され、その盛況ぶりが偲ばれる。

 昭和 62年 4月
 文京歴史研究会  荒川忠親  浪越徳治郎
          小林光二  田中行成
          松浦信夫  石坂岩雄
          田代喜一郎 森田一郎
          高田栄一  菊見岩雄
       (株)柏崎土建  中尾泰一
          里見博康  北山茂
          小平千里  杉本順子


 地域雑誌『谷中 根津 千駄木』とともに、この地域の歴史を語る上で欠かせない貴重な史料『ふるさと千駄木』(著:野口福治)には、明治の根津遊廓の風景がもう少し詳細に書かれていました。

 明治 3年(1870)3月には藍染川の支流、弥生坂下の流れに、立派な手すり付きの橋を新調し、あいぞめ橋と名付け、遊廓の表門とした。
 なお、八重垣通りの中央に桜の木を植え、その樹間に雪洞[ぼんぼり]を立て、灯りを入れて、新吉原にならった。その規模と繁栄は急速に拡大し、明治 10年(1872)には八幡楼をはじめ、貸座敷の数 90軒、娼妓 574人、内外の芸者 33人、他に引手茶屋 22軒、飲食店 17軒となった。


 このつつじまつりの風景より多くの店と客で夜中賑わっていたようです。この根津遊廓があった頃を偲ばせる(見られる方の想像力頼みですが...)遺構が、路地裏に辛うじて残っていました。

♪急にパンダになったクマに リスの嘆きが聞こえる〜
「えぇ?! 参ったな...」と アンアア、アアア〜ン♪
MYOな、気・持・ち・♪
(沖田浩之『E 気持ち』の曲で。かなり字余りだけれど...)

・・・こんなんじゃ、替え歌選手権に出られませんね。ま、それ以前にどうしようもなく音痴な私なのですが。
 ところで、もしあなたの身近な友人(異性)が、急に綺麗になったらどうしますか?私なら、平常心を取り繕いながらも、ちょっと退いてしまうかも知れません。引く、というか距離を置いて様子を窺ってしまう、とか。...

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 根津 2丁目にあります児童公園のクマとリスです。(撮影:2004/10/25)
クマとリス


(頻繁に通る道でもないので、恐らくですが)つい先日までクマとリス、薄汚れてはいましたが公園内で 2匹仲良く並んでいました。
クマとリス


 ところが、今日通りかかってみますと、、、

 根津に移転した「青空洋品店」です。
青空洋品店

 店舗が広くなり雰囲気はやや変わったものの、漂う空気感は以前の店舗と変わることなく、優しくてどこかノスタルジックな商品と、相変わらずセンスのいいディスプレイやアート作品が飾られた店内でした。


■ 青空洋品店
http://aozorayouhin.jugem.jp/

営業時間: 12:00〜19:00
休業日: 月・火・雨の日の水曜日

併設: ギャラリーカフェCOCOLOYA

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 窓から見えた自動車のガラガラと、店内の「nido」の照明はいいなあ。

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